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2009年10月02日

勝手に高山の観光を考えてみた Part2

前の記事で「古い町並」の空間イメージ(ロケーション)が強すぎ、これに同等かそれ以上のイメージづくりが必要と書いた。

なぜ空間イメージに限定しているのかと言えば、このイメージこそが高山観光の最大の強みであり、だからこそ伸張しやすいと思われるからだ。旧高山市に限定してしまえば「古い町並」が観光資源のメインであり、その他のたとえば特産品(飛騨牛・中華そば)や文化(祭り)などは、付帯的といっても言い過ぎではないだろう。「古い町並」イメージがなければ、その他の観光資源も輝くことはない。

北海道であれば、カニなどの魚介類・乳製品など採れたての食が、北海道の大自然の空間イメージと渾然一体となって強い観光資源になっている。つまり北海道の食は空間イメージと同等の観光訴求力をもっている。

しかし、高山の食は、古い町並などの空間イメージと必ずしも一体化しているようには思えない。伝統的にある日本食(懐石料理・精進料理・山菜料理)などが本来ぴったりの食なのだが、充分にアピールできているとは思えない。伝統的な食文化は観光資源として強いポテンシャルが感じられる。今後の課題となってくると思う。

さて、この「古い町並」の空間イメージ以外のものを創出できるだろうか? 実はかなり難しい。というか、害になりさえする。高山を訪れる観光客の頭の中にはほぼ100%、古い町並みがセットされている。ここに他の空間イメージを同居させることは混乱を招くだけで強みにはならない。

逆に言えば「古い町並」イメージを強化すれば、もっと多くの観光資源が掘り起こされることになる。前言を翻すような書き方になってしまったが、新たなイメージ創出はいらない。イメージ強化が必要になっている。

「古い町並」のイメージ強化とは何だろう? 

ひとつはやはり町並みの景観保全だ。イメージにそぐわない建造物や看板は極力減らしていくべきだろう。また車両の進入規制も有効な施策だ。

ただよくいわれるように町並みの店舗に出店規制することは賢明ではない。建物や景観の保全を優先するあまりに仕舞屋(しもたや)ばかりにしても観光には決してプラスにならない。

「古い町並」とよばれる上三之町界隈は元々江戸時代から続く町人街であり、当時有数の商店街であったわけだから店舗があることはむしろ歓迎されるべきである。もちろん店舗の内容についてふさわしいかどうかは問われてしかるべきだが、伝統的建造物でありながら店舗が賑わっているということはむしろ誇るべきなのである。白川郷の合掌造りは世界遺産でありながら、いまなお人が住んでいるという点が称賛されることと同じで、卑下することはなにもない。

くわえて観光客は江戸時代から続く商店街「古い町並」でショッピングを楽しみたいのだ。観光ニーズにもしっかり合致している。

問題にすべきなのは、次の二点だ。

「古い町並」 = 上三之町という位置づけ。現状、「古い町並」といえば上三之町を貫く一本の通りに限られている。確かに景観がもっともよく保全されているのは上三之町であるが、実際には伝統的な建造物や町並みはもっと広い範囲にある。

「古い町並」= 商店という単一イメージ。高山に残る伝統的な建造物や町並みは商店だった建物もあるが、それだけではない。武家屋敷や寺社がありお城もあった。職人も多数すんでいただろうし、旅人を休める旅籠もあった。

この2点を是正していくことが「古い町並」のイメージ強化に繋がる。(以下次週)
  

Posted by たまゆらゆら at 22:09Comments(0)高山観光を考える

2009年09月25日

勝手に高山の観光を考えてみた Part1

シルバーウィーク様様。
9月の高山観光は前半まで低迷。しかし、この連休で一気に復活した。天候に恵まれたこともあって、お盆を超えゴールデンウィークに匹敵する観光客が訪れたといわれている。不況の真っ只中、なおかつ新型インフルエンザの拡大が懸念されている最中、これだけの活況を得られたことは、高山の観光がまだまだ魅力があるという証だ。


近年、なにかというと高山観光の危機説がまことしやかに囁かれることが多い。確かに上げ基調とはとてもいえない。期待される交通インフラの整備はほぼ終わり、大きな観光施設の建設や観光イベントの開催などの予定もない。トヨタなど企業業績の低迷で、多数を占める愛知県からのお客さんは財布の紐が堅くなっている。

一方で、外国人観光客は世界的不況にもかかわらず増加傾向にあるように思う。ただ、このところのドル安で北米からはさすがに減っているかもしれない。

統計もみないでいうのは申し訳ないが、たぶん去年と比べれば1割程度観光客が減っているのではないかと極めて大ざっぱに思っている。

TDLなど勝ち組テーマパークと比較すれば大きく水をあけられていることは間違いない。しかし、他の観光地と比較したら大健闘といってもいいのではないだろうか。

では、観光危機説を唱える人はなにを不安がっているのだろう。

高山の観光資源は「古い町並」を中心に川西側にコンパクトに集積している。非日常的なこのロケーションが高山観光の最大の魅力といっていい。そして、そうであるがため、それが弱点にもなっている。

イメージが強すぎるのだ。観光客にとって高山のイメージはイコール「古い町並」になっている。だから、陣屋→中橋→上三之町を歩けば、このイメージを体感でき、その時点で高山観光は実質的に終了している。あとはラーメンか飛騨牛を食っておしまい。次の観光地に行きましょうということになる。

こんな観光スタイルがここ20年来続いているのだ。こんな状態で観光地としての魅力が衰えていないのは、やはり「古い町並」が清水寺などに匹敵する世界遺産級の観光資源であるからだろう。

逆に言えば、特になにもしなくとも、あと20年くらいは観光都市としてやっていけるという見方もできる。

しかし、今後も観光産業を振興し国際観光都市として立脚していこうと考えるなら、なんらかの手立てをうっていかなければならない。

もっと長く高山に留まってもらうためには?
もっとリピートしてもらうためには?
もっとお金を使ってもらうためには?

そのためにはなにをしたらいいか。こういうところを戦略的に考えなければ観光産業の未来は切り開かれない。

というわけで、ひだっちブログを借りて、ぼくの考える観光戦略を勝手に論じてみたい。

まずロケーション。これは観光客が物理的に移動する空間や景色のことというよりも、頭の中に事前に思い浮かべている観光空間のイメージとして使っている。観光客はそのイメージを実体験することでその面白みを倍増させている。

さきほど書いたようにこのロケーションは「古い町並」が他を圧倒している。次に「朝市」・「屋台会館」・「飛騨の里」などが続いているのだろう。「朝市」はまずまずのロケーションだ。しかし、「古い町並」ロケには遠く及ばない。「屋台会館」は建造物のイメージが強くロケとして弱い。「飛騨の里」は本家白川郷が近くなってイメージとしての訴求力が完全に弱まってしまった。いまの売り方では回復は困難だろう。

他にもロケはあると思うが、「古い町並」が他を圧倒しているということに、納得していただけると思う。

簡単な話、「古い町並」ロケと同等かそれ以上に強いロケを創出できれば、観光戦略は成功する。もちろん、簡単な話ではない。しかし、そうしなければ観光がやせ細っていくことも事実。(以降、次回に続く)


  

Posted by たまゆらゆら at 01:58Comments(0)高山観光を考える

2009年09月16日

架空請求詐欺にご用心

『民事訴訟裁判通達書』というハガキが届いた。差出人は「日本管財事務局」というもっともらしい名称を名乗っている。住所もそれらしく、東京都中央区入船1-1-13 03-3505-5872  としっかりと明記している。



民事訴訟の被告となっていて期日までに出廷しなければ財産を没収されるという内容だ。その期日が「裁判取り下げ期日」というまたしてもそれらしい名称になっており、なんと明日に指定されている。なんとも性急な話じゃないか? まったく身に覚えのないことだったので不審に思い、思わず電話するところだった。気を取り直してネットで調べると有名な架空請求詐欺と判明。つまり新手の振込詐欺のひとつだった。

http://sns.kiryu.jp/blog/?key=12024

おそらく慌てて電話すると、「財産没収を免れたいならば和解金として所定の口座に○○万円を振り込みなさい」ということになるのだろう。料金滞納などのなんらか身に覚えのある人なら、迂闊にも引っ掛かってしまうかもしれない。

特に被害にも遭ったわけではないが、このような詐欺集団が電話を設け事務所を構え堂々と営業(?)していられることに腹が立つ。こやつらは不正に入手した個人情報を基に大量にハガキを送っており、いずれ詐欺被害を引き起こすことは間違いない。

「犯罪は未然に防ぐべし」と老婆心を逞しくして即座に警察に通報した。しかし、実際に詐欺被害にあったわけではないので情報提供をしただけに終わる。岐阜県警としてもそれだけのことでは法的に取り締まりができるわけではない。

◆警察庁 振り込め詐欺に要注意!

なんとも歯がゆい。しかし、警察が悪いわけではない。法律が未整備なのがいけない。金融機関などへの行政指導などで幾らか効果はあったとされるが、新手の手口が次から次へ生まれる現状にあって、法的整備はまったく不十分だと思う。

暴対法の様に、まず詐欺集団を特定できる定義付けができなければならない。

実際に詐欺被害が報告されなくとも、詐欺被害をおこすような行動・言動があったならば詐欺集団と特定でき、法的になんらかの処置が行えるようになれば、振込詐欺の被害を大幅に防げるようになる。

詐欺被害の未然防止に限らずこのような法整備は、やはり立法の仕事だ。今日、民主党政権が発足するが、時代に適合した立法のあり方を模索し、法があまりに後手に回ってしまっている現状を打破してほしい。
  

Posted by たまゆらゆら at 01:01Comments(0)時事ネタ

2009年09月11日

産業が環境を守るのだ!

温室効果ガス25%削減に大賛成。是非実現してもらいたい。鳩山さんをあまり好きでないと書いたが、この大胆な発言でちょっと好きになった。

「25%削減」閣僚・産業界は経済打撃懸念

産業界の多くは反発しているが、どのみち今のままの産業構造のあり方では、中国をはじめ新興国の追い上げにあって国際競争力を失い、惨めな敗北を喫することは明白。

むしろ環境に配慮した高いハードルを設けることで、環境技術の発展を促し、企業の国際競争力を高めることになると思っている。また企業イメージやブランディングも高まる。「環境に優しい」ことが世界の人々の共通の価値として定着していくからだ。MADE IN JAPANは「環境に優しい」・「サスティナブル」であると新たな付加価値が生まれる。

もちろんコスト高になって価格競争力を失う企業もあるだろうが、全体でみればそれほど深刻にはならない。かえって様々な環境技術を習得することで新たな産業分野を開拓していく可能性の方が高い。だから長い目で見れば、「25%削減」は日本の産業にはプラスになると思う。

「産業は環境に優しくなければならない」。声に出して言ってみれば至極当然のことなのだがいまだ実現はされていない。国内では経済産業省と環境省は別の行動原理をもち時に相反した見解を示す。しかし、そう遠くない将来には環境産業省として統一されてほしい。次世代の産業のコメは環境技術にあるばかりでなく、産業こそが環境を守る主役となる社会になってもらわなければいけない。

いま未来の人類が安定して生存できるかどうかの重大な瀬戸際にある。温暖化をくい止めなければ100年先の地球環境は悲惨なことになるだろう。先進国の一員としてこの政治表明は極めて正しい。排出権取引はマネーゲームだ! ヨーロッパの陰謀だ!とのたまう方もいらっしゃるが、そんなところに責任転嫁させても、温暖化防止をくい止めることはできない。

未来の人類に責任を持つこと、持続可能な社会を実現することは最早、現在の我々日本人の使命だと思う。これを避けて未来を語るなど極めて空疎。なんの価値もない。

「25%削減」に自動車産業がなぜ強く反発するのか? この削減目標ではガソリン車は市場から完全に排除される。ハイブリッドでさえ怪しい。燃料電池車は間に合うだろうか? このまま削減目標が進めば、電気自動車が主流となることを指し示していると自動車業界は受け取っているのだ。



電気自動車が全盛となってしまっては現在の自動車業界の産業構造は維持できない。バッテリーとモーターさえ揃えば、それこそ誰でも自動車産業が興せる。電気自動車の最大の弱点である航続距離の短さは徐々に克服されつつある。構造が単純なだけに価格的にも優位だ。その上で環境優位となれば主役の座を奪うのは時間の問題だろう。

自動車産業最大の危機がいま訪れている。鳩山政権の施策は結果としてその危機を拡大していくことになる。世界のトヨタやホンダはこの危機を乗り越えられるだろうか? 2020年に産業の主役でいられるだろうか?

いずれも世界に誇れる日本のエクセレントカンパニーである。ピンチをチャンスにできる高いポテンシャルがあると信じたい。
  

Posted by たまゆらゆら at 03:13Comments(0)環境・エコロジー

2009年09月03日

鳩山さんは自民の復活を心底望んでいる。

鳩山内閣は今月16日に発足する。65年近く続いた自民党支配による戦後政治が終演する。まさに歴史的な政権交代なのだが今ひとつ盛り上がりに欠ける。政権への支持率を見るとそれなりに高いのだが、小泉さんの時と比べると熱狂と呼べるようなものはなにもない。

◆71%の「期待」いつまで 16日に鳩山政権誕生

この鳩山由紀夫さん、個人的にはあまり好きでない政治家だ。覇気がないというか、弱々しいというか。演説は論理的だが夢が感じられない。批判は繰り返すが一体なにがしたいのかよく見えてこない。




◆ AP通信が鳩山代表に注目 首相誕生見越し

元来が学者肌の人なのだが、家柄のため政治家になってしまった感がある。他の政治家と比べ、どこか政治に向き合うスタンスが異なるような気がしていた。

選挙後の深夜に行われた記者会見を視て彼の政治的理想の一端がわかった。それは「二大政党制」の確立にあったと思われる。自民党から政権を奪取したものの予想外の勝ちすぎによって自民党が崩壊してしまうことを懸念しているような発言を行っていた。余裕の発言というより、本心から自民党の復活を願って述べたように思う。つまり、民主党が永らく政権を保持することを決して望んではいないのである。そういう意味で鳩山さんは権力の権化ではなく、真の民主主義者といえる。

小沢さん辺りは保守二大政党を望んでいると思うが、最近の民主党は社会主義的な発言が多くアメリカの共和党と民主党のように「保守主義vsリベラリズム」という構図に近づいている。

しかし、アメリカのように政策の対立軸が明確にはみえていないことも事実。民主党のマニフェストを読んでも日本の悪いところを列挙してここを治しますっていうような場当たり的なものしかなく、政治的な信条はよくわからない。自民党の政策と比べても決定的な相違は見いだせない。総論賛成・各論反対のような政策でしかない。官僚主導から政治家主導の政治を目指すのは大いに結構なことで大賛成。しかし、それは本来有るべき姿にただすということであって、政治的主義主張とは言えない。

よって、今後鳩山さんは民主党代表として二大政党的対立軸を明確化していくべく民主党の政治的主張を明確化しようとするだろう。小泉さんのような規制緩和を徹底し、新自由主義的な政治を目指すことはまずないだろうから、アメリカ民主党的なリベラリズムに近い政策を打ち出すだろうか? リベラリズムとは、簡単にいうと自由を標榜しながらその自由を守るために政府が積極的に介在していく政治主義のこと。よって、リベラリズムは政府の影響力が大きくなる。

官僚主義の打破を唱えながら、大きな政府となるのも奇妙にみえるが矛盾とまではいかない。自由を守るために規制を行うというスタイルを貫くならば理屈が通る。

ただアメリカでは金科玉条ともいえる「自由」が、日本では最高価値とはいえない点である。自由を幾ら打ち出したところで有権者あまり反応しない。ここが日本の政治の難しいところ。有権者の望みは「我田引水」でしかない。残念ながら日本人は政治的理念など全く持ち合わせていない。自らに利益をもたらしてくれる政党が政権をとればいいのである。高邁な思想など所詮はお飾りに過ぎない。

二大政党となってもその対立軸なんてものは無くてもいいのかもしれない。同じような主張を繰り返す二つの政党が時々政権を交代するだけで案外うまくやっていけるのかもしれない。

例外もある。外交に関してのみ、民主党はアジア寄り、自民党はアメリカ一辺倒という対立軸が生まれようとしている。
◆ 鳩山代表に欧米から反発噴出 「東アジア共同体」に「友愛

政権交代のたびにアジアか欧米かにふらふら外交方針が変わるのはいいのか悪いのか、よくわからないが、中国の急激な台頭を考慮すると絶妙な外交バランスがとれてかえっていいのかもしれない。

政治的主義主張が無い・もしくは弱いということが絶対的にまずいということはない。それでも、もし政治的な独立を真に願うのであれば、日本独自の政治的主張を明確化し、その実現に向けた政策を採らなければならない。たとえば、環境や安全・世界平和を本当に国民が望むならば、それに即した政治主張が世界に向けて行われるべきだ。政治的に世界貢献ができることが、すなわち政治的独立と呼ばれなければならない。  

Posted by たまゆらゆら at 17:51Comments(0)政治・経済

2009年08月27日

政界再編を歓迎するしかない!

どうやら民主党が政権を獲りそうな勢いだ。ということは過去のブログ予想は見事にはずれてしまうことになる。

◆総選挙後も麻生政権はまだまだ続く?
http://yurayura.hida-ch.com/e118620.html

自民党は過去に日本新党・新生党に政権を奪われことはあるものの奇策を弄して政権を取り戻した。しかし、今回は歴史的な大敗を喫すると予想されている。なんと衆議院の三分の二を失うとさえいわれている。

◆民主300議席上回る勢い=自民激減100前後か−公明も苦戦【衆院選情勢】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090823-00000071-jij-pol

この大負け状態では政権奪取などという悠長なことはいっていられない。党そのものの存続が危うくなってくる。小泉さんが「自民党をぶっ潰す」といっていたことが、皮肉にもそう思ってもいない麻生さんによってなされようとしている。

一方の民主党だが、こちらもおそらく安泰とはいえない。政権は獲ったもののすぐ馬脚を現すことになる。格差是正・小さい政府を標榜する議員が多く、政策的には一枚岩の観のある民主党だが、小沢か反小沢かで分裂の可能性を含んでいる。仮に党が割れなくても、かなり亀裂の入った政権運営を強いられることになる。

自民党が野に下ることが長引けば、族議員は消滅し、一時的にはクリーンな政治が行われるようになる。しかし、やがて確たる権益が生まれれば、またしても族議員が誕生する。

このような政治腐敗を防ぐためにもひとつの政党が永らく政権の座にあることは避けるべきだろう。民主党が政権を担うことで、日本の政治の浄化になることは間違いない。

問題なのはやはり実行力だ。優れた政策も実行されなければ意味がない。いまのような大不況期にビギナー与党が有効な政策を実行に移せるかどうか?

もし、もたつくようならば国民の熱はすぐに冷め、支持率は急低下。本来は小泉さんの郵政選挙のようにカリスマによって得られた支持ではなく、自民党に対する反対票が集まっただけなのでその支持基盤なんてものは極めて脆い。

内閣交代が相次ぐうちに衆議院解散も任期を待たず行われるのではないだろうか? そしてまたしても政界再編。日本の政治は迷走に次ぐ迷走となる。

いずれアメリカやイギリスのように二大政党に収斂され、情実から政策重視の選挙へ移行していけば、ようやくまともな国政が行われるのではないかと思う。

そうなるにはあとどれくらいかかるだろう。意外にも、すぐそこなのかもしれない。

霞ヶ関の解体・道州制の導入あるいは憲法改正、大統領制への移行などドラスティックに日本の政治が変わっていくことを実は大いに期待している。



  

Posted by たまゆらゆら at 18:51Comments(0)政治・経済

2009年08月19日

『まさゆきの地図』 なんと高山でゲット!

ドラクエ9のディープなプレイヤーにはわかっていただけると思う。なんと高山で『まさゆきの地図』をゲットできた。それはお盆明けの17日、市内を車で走行中に、すれ違い通信によっててっぺいさんからいただいた。帰省客の多いこの時期だからこそ、得られやすかったのだろう。

◆ドラクエIXファンが集う秋葉原「ルイーダの酒場」とは?
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090816-00000010-tkwalk-ent
◆ ドラクエ9は中古品出回らず、ネット通信機能が奏功
http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20398085,00.htm?deqwas_inflow=relation&tag=deq:3

この地図を持ったからには一刻も早くクリアしてすれ違い通信で広めたいところ。が、モンスターのレベルが高すぎてBOSSにたどり着く前にパーティーは全滅してしまう。そもそもメタルキングがいるB15Fにすら到達できていない。努力はするつもりだが、まだまだ時間がかかりそう。




このすれ違い通信は実に巧みである。その蓋然性そのものがゲームとして見事に成立している。40半ばのオヤジもはまり込んでしまった。情報の伝達手段としては一見非効率に見えるが、実は人の嗜好性をそそることで1600万分の一の確率でしか出現しないレアな地図があっと言う間に巷に伝播していくのである。

さて、このような伝播の仕方はなにかに似ている。観光地高山は一地方でありながら、観光客・帰省客(てっぺいさんがそうであったかはわからないが)によって最新の流行や情報などがいち早くもたらされる。ありがたい反面、迷惑なものまで忍び込んでくる。そう、新型インフルエンザ!! (ウィルスはまさに遺伝情報の固まり。生物とはいえない)

この夏に矢継ぎ早に国内で3人の死者が出た。いずれも別の重篤な疾患を抱えていたため肺炎や気管支炎などを引き起こしたとみられる。

◆ 新型インフル、3人目の死者=名古屋の高齢女性−院内で6人感染か
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090819-00000037-jij-soci
◆新型インフル 感染防止対策の徹底を訴え 舛添厚労相会見
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090819-00000006-maip-soci

最早感染源の特定ができないほど感染が拡大し全国的に大流行の兆しがみえはじめている。

「喉元過ぎれば暑さ忘れる」の諺通り、我々は新型インフルエンザに対して完全に警戒を怠っている。マスクをして外出する人を見かけることはほぼなくなった。このお盆の賑わいの中、市内各所でこのインフルエンザウィルスが大量にコピーされたことだろう。夏休みが明けて学校が始まった頃から急激に感染拡大が起こると予想される。

いまだワクチンは数に限りがあり、国民全体に行き渡るのはまだまだ先になる。このため接種の優先順位が近々決められる。まず医療関係者、次いで社会基盤の維持に従事する者、感染による害が大きい者(重篤患者・高齢者・乳幼児・妊婦など)が優先されることになる。

◆ ワクチン配分の政策と倫理
http://pari.u-tokyo.ac.jp/policy/policyissues_bio_5.html

最終的には国民の6割程度のワクチン数が確保されなければならないが製造が間に合いそうもない。輸入すれば国際的な批判を受ける。ワクチンの安全性の問題などもありワクチン接種に関して今後、様々な物議を醸すことになるだろう。

◆新型インフルエンザを予想する(2009.5.21)
http://yurayura.hida-ch.com/e110212.html

パンデミック・パニックを防ぐにはワクチンの安全・迅速に充分な供給が必須。まだ発熱外来を拡充することもあわせて重要だ。
  

Posted by たまゆらゆら at 15:54Comments(9)新型インフルエンザ

2009年08月10日

脱法ドラッグの前に現行法では立ち向かえない

押尾学、酒井法子と連続して芸能人が捕まった。二人とも麻薬がらみだが両者に直接的な関係がないことからも芸能界の麻薬汚染の闇が相当に根深いことがわかる。

押尾学の事件で亡くなった女性が飛騨市出身だったことも衝撃だったが、酒井法子の覚醒剤には正直ショックだった。清純派アイドルで良妻賢母の代表のような存在だっただけにそのギャップがいまだに埋めきれない。本人の立場だったら本来の自分と違う者を演じなければならないギャップに苦しんだということになるのかもしれない。

芸能界のみならず一般社会へも麻薬・ドラッグの薬物使用は広がっており、学生や主婦も例外ではなくなった。住宅街で堂々とイラン人が覚醒剤を売っていたり、ネットでも購入できてしまうなど以前と比べて格段に入手が容易になってきている。ダイエットの目的で購入する場合もあるそうだが、多くは心の鬱屈を晴らすために使われるという。

MDMAなどはアメリカのドラッグカルチャーの所産で、レクリエーション・ドラッグとして濫用され続けている。このレクリエーション・ドラッグは、化学組成を巧妙に組み替えて法的に取り締まりようがない化学物質に合成されて登場してくる。デザイナードラッグ、あるいは脱法ドラッグと呼ばれる。だからといっても、用法・用量を誤れば死亡に至るケースがあり、なおかつ中毒性が高いなど違法ドラッグと同等かそれ以上の危険性をはらんでいる。MDMAも最初の頃は法的に取り締まれなかった。アメリカでは使用が拡大してから10年近く経過してようやく違法ドラッグに指定された経緯がある。日本でも法的規制が後手後手になっている感は否めない。

デザイナードラッグ・脱法ドラッグは今後も化学的組成を変えて次々に登場してくることだろう。脱法ドラッグは違法でないことから合法ドラッグ、場合によっては遵法ドラッグとさえ呼ばれる。これではその使用を奨励しているかのように誤解する者まで現れるだろう。このような状況の中で、いち早く法的な規制をかぶせ、脱法ドラッグの拡大防止を行える法律の大胆な試みが待ち望まれる。

オランダは最も先進的な法的規制を行っていると思う。ドラッグをソフトとハードに分類し、ソフトドラッグのうちマリファナなどはほぼ合法化してしまっている。この措置は犯罪組織などの資金源となりやすく、健康被害が深刻になるハードドラッグの拡大を防ぐ狙いだそうだが、一定の効果を得られているという。新興国や発展途上国がひたすら厳罰化することと比べると対照的な取り組みといえる。

世界的な基準に照らせば、酒やたばこ、コーヒーまでがドラッグに分類される。これは精神になんらかの高揚感をもたらす効果があるからだ。もちろん、違法ではないのでこれらこそ遵法ドラッグと呼ばれていい。ただし、たばこは近い将来違法になる可能性がある。日本人の一般的な感覚では麻薬・ドラッグはただひたすらに悪。酒・たばこはストレス解消、コーヒーは目覚ましに必要不可欠ということになる。しかし、そんなに遠くない将来、あまりに単純なこの線引きに是正が迫られ、麻薬・ドラッグに対してより実際的な見方に変更されるかもしれない。

ドラッグ・麻薬はなぜいけないのか? なぜ、法的に禁止しなければいけないのか? 簡単に言えば、その依存性・毒性の高さが人体に害を与えるからであり、ひいては社会に悪影響を及ぼすからだ。

もし、健康を損なうことがないドラッグが合成されたならば、適正な用法が守られることを条件に、合法化されても問題はないはずだ。自殺者3万人超となった日本に、この合法ドラッグが福音をもたらすかもしれない。鬱を軽減し多幸感があり、他者との連帯感を高めるドラッグがあれば、仮にそれが錯覚・幻想であったとしても自殺をくい止めることができるだろう。

違法な薬物使用が横行する社会は確かに問題だが、自殺者があとを絶たないことの方が遙かに問題だ。人の心が荒んでしまう現代日本。この生きづらい社会を一刻も早く変革することが、根本的な解決策であることはいうまでもない。
  

Posted by たまゆらゆら at 01:47Comments(2)時事ネタ

2009年07月31日

東海大地震が金融パニックを併発させる

景気が底打ちをしたという楽観報道が相次いでいる。

◆「このところ持ち直しの動き」に上方修正=月例経済報告

◆米景気後退、終わりの始まりが見られつつある可能性=オバマ大統領

◆6月の鉱工業生産、前月比2.4%増で4カ月連続上昇

◆東証大引け、約10カ月ぶり高値 回復期待で自動車や電機が上昇

雇用情勢などまだまだ悪い指標もあるが、とりあえず今回の金融不安が世界恐慌までに至らなかったといえる。これは各国政府が様々な金融財政政策を協調して行ったことによってもたらされたとも言いたげである。確かになんらかの手立てを講じなかったら80年前の世界恐慌以上の大恐慌に陥った可能性が高い。歴史から学び、同じ轍を踏まなかったことは称賛すべきだろう。

しかし、素直に安堵もできない。なにか釈然としないのである。

今回の金融不安は、実体経済の5倍を上回る額の金融バブルが発生していたと推測される。金融工学の進展によって誕生した、いわゆるデリバティブと呼ばれる金融商品が盛んにレバレッジを効かせバブルを膨らませていた。有名になったサブプライムローンもこの金融技術によって証券化され全世界にばらまかれた。

実体経済の5倍の金融商品とは世界GDP総額500兆円の5倍ということになる。その額はおよそ2500兆円。もし、この金額がまさに泡のようにはじけ飛んでいたなら、世界経済は立ち直れないようなダメージを受けただろう。もちろん、そうならなかったからこそ、景気が底を打ち回復の兆しが見え始めたのだ。

そうであるがゆえに、2500兆円に膨らんだ金融商品は、いくらか毀損したもののその大半は残存しているということである。その額が幾らなのか知ることはできないが、未だに金融バブルは放置されていると言い換えることができる。なにをもってバブルというのか、その定義は曖昧だが5倍はバブルだが4倍ならバブルでないといいきれる経済学者はいないだろう。

いまの金融状態が安定なのか崩壊寸前なのか、本当のところよくわからないのである。単に危機が過ぎ去ったばかりなので当面は安全だと経験的な判断をしているだけなのである。ところが、この危機を抑え込んだのは前述のように各国政府、特にアメリカが中心となった巨額の財政出動である。それは、かつて例のないほどの規模なのである。経験的な判断といいつつ、実は未経験な領域を多く含んでいる訳でどの程度有効な判断なのか怪しい。

なぜ、そのような無謀な判断をするのか? お金が余っているからである。行き場のないお金、年金基金やヘッジファンド、保険会社など、なにがなんでも資産運用を果たさねばならない企業・団体がなんでもいいから言い訳を欲しがっているのである。さすがに大ダメージとなったアメリカ住宅市場への投資は低調なままだが、原油などのコモディティ市場は賑わいを取り戻しつつある。株式も戻り高値を期待できる。

金融危機で縮小した金融バブルがまた膨らみ始めたのである。

今後、金融工学によって培われた証券化技術は、いままでに対象とならなかった領域に踏み出して新たな金融商品を市場に送り出すことになる。

たとえば、災害保険。ロイズなどの旧態然とした保険の仕組みでは世界規模の災害増加に最早対応しきれなくなっている。確かに証券化されれば地震保険など掛け金が引き下がるかもしれない。地震大国日本はその恩恵にあずかれるかもしれない。しかし、このような金融商品が第二のサブプライムローンにならないという保証はどこにもない。

災害保険の証券化商品は、天災さえ起きなければ高利回りの配当が得られるので投資対象として魅力的にみえる。ところがひとたび大災害が起きれば紙切れ同然となる。地震やハリケーンのような自然災害がバブル崩壊のきっかけとなりうるということである。

東海大地震が発生し、なんとか復興しようとすれども、同時期に金融パニックに陥っているような状況だとすれば、「踏んだり蹴ったり」・「泣きっ面に蜂」などという呑気な表現では済まされない。悲惨を通り越して無残な状況に追い込まれてしまう。

災害保険に限らず、証券化商品はあらゆる領域に入り込む。グリーンニューディール政策によって脚光を浴びる環境技術もその対象になっている。つまり、金融バブルはどこにでもはびこることができるようになったのである。


巨大な金融バブルが発生している以上、必ずバブルは崩壊する。そのエネルギーはむしろ増大する一方であり、それを防ぐための財政力は既に限界にある。極めて近い将来、またしても金融危機に直面することは間違いないと思う。

残念ながら今回の危機で我々はなにも学べていないのである。

  

Posted by たまゆらゆら at 06:05Comments(0)政治・経済

2009年07月24日

ドラクエ 堀井雄二の職人技は、仮想社会の神となる。

不況下で「巣篭もり消費」がトレンドになっている。そのため、ネットショッピングは好調を持続し、アマゾン(訴訟を抱えて増益ではないが)や楽天は好決算となった。



そんな日本で、この夏、「ドラゴンクエストIX 星空の守り人」がNintendo DS対応で発売された。販売は絶好調。

ドラクエ9:発売2日で234万本販売 過去最高の前作上回る出足
DSは家庭に一台ではなく一人一台といわれているだけに、販売数も飛躍的に伸びるだろう。ワイヤレス通信を利用して家族同士で楽しめる機能があるので、複数本を購入する家庭もあると思う。

オタクオヤジはもちろん、このドラクエ9にすっかり嵌った。携帯電話のように持ち歩き、暇を見つけてはスイッチをいれる。現在、脱獄に成功したところ。どの程度の進捗なのかよくわからないが、かれこれ70時間近く冒険している。

ドラクエ9はシリーズ最高傑作だとおもう。かつてドラクエに酔ったときと同じ、懐かしい感覚に浸っている。小さい画面の中にめくるめくような冒険の世界の広がりをイメージできる。メインとなるキャラに自己投影し、物語の主役になりきっている。

ドラゴンクエストの生みの親、堀井雄二はシリーズ発売から20年以上を経て最高傑作を完成させた。自家薬籠中というのはまさにこういうことをいうのだろう。プレイヤーの泣き所をすべて知り尽くして作品に反映させている。最新のCG技術を駆使しているのにその技術に溺れていないことも素晴らしい。

最近のゲームはやたら3Dに頼り、リアルさを追求しすぎる。3D画面が激しく揺さぶられると船酔いを起こすオヤジは、これには閉口するほかない。実写さながらのリアル表現は最初驚くがすぐに飽きる。むしろ、イマジネーションを喚起しないのでゲームの奥行きが出てこない。

こういう測定しにくい要素を、堀井は見事に掴みきり、ゲーム製作に生かしている。これは、デジタルの中から生まれるアナログの要素を抽出する、ある種きわめて特殊な職人芸ともいえる。

こういう能力をもった人はデジタル化し続ける現代社会には希な存在である。そしてそれだけに社会に重用される。マン・マシンインターフェイスを構築することや、たんにSE的な能力とは少し異なるように思う。

もっと深いところで人間を知っていなければ、ゲームやインターネットという仮想空間に人の居場所を築くことはできない。堀井のもっている職人技とは、今後も増え続け社会に必要とされる仮想社会を構築するのに無くてはならない能力なのである。この能力、この仕事をなんと呼ぼうか。ゲームデザイナーでは充分に言い表せない。すこし長いが仮想社会設計士なんていうのはどうだろう。

グーグル「lively」がもたらす仮想社会のカンブリア爆発

ひところ話題となったセカンドライフは低調なままだが、Googleの仮想社会はどうなるだろう。ネットの仮想社会の決定的な弱点は手持ちぶさたなことだ。「いったいなにをせよ」というのか。人間とは意外にも受け身の存在なのだ。目的もなく他人とコミュニケーションを取ろうと思う人はたぶん少数派だ。

堀井雄二が仮想社会を構築したらどんな世界を作るだろう!!

追伸:すれ違い通信はいっこうに繋がらず。高山では無理なのか??
  

Posted by たまゆらゆら at 17:40Comments(0)時事ネタ

2009年07月09日

「自由」と「平等」が諦められない。それが「通り魔」だ。

また通り魔だ。

■大阪市此花区のパチンコ店で火事 不審な男が店内で液体まき逃走


通り魔的殺人はいまに始まったことではない。江戸時代の辻斬なんてのも通り魔殺人といえなくもない。ただ最近のそれは、憂さ晴らしや快楽殺人といった要素はなく、犯行を隠そうという意思も見えない。ひたすら社会を逆恨みし、無差別に人を殺傷することで社会へ報復し、なおかつ自らの犯罪行為に極刑を望んでいる。他人を犠牲にして自殺を企んでいるかのようにも見える。事件報道を聞く度にひどく薄ら寒い気持ちになってしまう。

■通り魔殺傷事件、過去最高

まじめで知能が高く、性格は暗く孤独。社会生活になじめず失業中かそれに近い。概ね、通り魔にはこのような共通点が見える。秋葉原通り魔事件がその象徴だろう。犯人から我々へ、強くそして底無しに暗いメッセージが伝えられた。

この手の事件には模倣犯も生まれやすく、高山でも人命こそ失われてはいないが、通り魔が出現している。最早、身近な問題だ。
■高山の通り魔事件、懲役6年 岐阜地裁判決

現代社会の病巣が都会に限らず日本のあらゆる地域に広まっている。犯人を責めるのは容易いが、なぜ通り魔が相次ぐのだろう? 希望を失い、社会に不満を抱えて自暴自棄になる人間が増え続けているのはなぜか?

景気との相関関係があることは間違いない。しかし、人心を狂わせるもっと根本的な問題がある。それは、知らず知らずのうちに我々の思考にすり込まれてしまっている。今では当たり前になってしまった、普遍的な価値観。

すなわち、自由と平等。それは、近代思想が生み出したもっとも尊い価値観であり精神的な支柱である。戦後、アメリカによって付与された民主主義は日本に平和と繁栄をもたらした。自由と平等の精神は、この民主主義の根幹となっている。

この自由と平等が社会通念として充分に浸透した現代日本にあって、人心を悩ませ、時に狂わせてしまうような元凶となっている……としたらどうだろう。

これを論証することは容易いことではない。傍証とすらならないかもしれないが少し論じてみよう。

江戸時代は支配階級の武士と被支配階級の町人・百姓という身分制度が敷かれた(士農工商という呼称は差別的で正確ではないという理由で現在あまり使われなくなった)。身分移動はある程度あったとされるものの、ほとんどは出自によって人生が決められてしまった。現代から見ればなんとも窮屈な時代だと思われるが、被支配階級に生まれたら不幸だったのだろうか? 百姓に生まれたからと言って自暴自棄になっただろうか? 答えはノーだ。

ほとんどの人は低い出自であっても、自らの人生を受け入れることができた。なぜならそれが当然だからだ。それ以外の可能性を期待しないし、そもそも自由や平等などという抽象的な観念はまったく存在しなかった。だから、彼らは自らの身分を弁えることができたし、未来を諦めることができた。

現代社会では、もちろん身分制度はない。生まれつき自由であり、法の下で平等である。いかなる者にもなれる可能性がある(ただし、適切な能力と努力と運を手に入れられれば、という条件付きだが…)。

あらゆる可能性が広がっているという幻想をもって人は生きる。だからこそ激烈な競争が生まれ、必然的に勝者と敗者が生まれる。そして不幸なことに敗者となっても白旗を揚げることが許されない。勝てないとわかっても常に競争をし続けなければならない、決して諦めてはならない社会なのである。

自由と平等は、人に無限の競争を強いるのである。だから、人心はすり減り、ときに自暴自棄となった逃げられないタイプの輩が、通り魔に変身するのだ。

相当、無謀なロジックになってしまっていることは承知だが、直感的にそういえる。かといって、昔のような階級社会に戻ることを望んでいるわけで決してない。近代思想が限界に達したといっているのである。

ポストモダンとはそういうことを志向すべきだ。人を無限競争のループから抜け出させ、ギブアップしても受容される社会をもたらすことを。
  

Posted by たまゆらゆら at 01:43Comments(0)時事ネタ

2009年07月02日

総選挙後も麻生政権はまだまだ続く?

本日、麻生政権の内閣改造人事が発表されたが、案の定この人事では政権浮揚には全く繋がりそうにない。目玉の東国原知事の入閣もできず、単に兼任閣僚の負担軽減のための補填に留まった。
○FNN

しかし、皮肉にもこのため麻生政権は任期満了の9月まで継続することが濃厚となり、我らが金子一義大臣も残り2ヶ月、国土交通大臣として任期を全うしていただける。嬉しいといえば嬉しいが何だか微妙。

○毎日世論調査:麻生内閣支持率下落19%…再び危険水域に

支持率2割を切り、死に体内閣・ゾンビ内閣と揶揄されるが意外にもネットでの人気は悪くない。
○麻生内閣の支持率がすごいことになっている

おそらくネットでの調査は回答者の多くが支持者だったからだろう。つまり政治に無関心な層は自ら進んでアンケートなんかに応じない。この支持率のギャップは政治に無関心な層、いわゆる無党派層がいかに厚いかを物語っている。

最近の選挙は無党派層がどっちに流れるかで決まる。今のところ民主党が有利にみえるが鳩山代表も献金疑惑でなんだか雲行きが怪しい。選挙までの2ヶ月、まだまだあちらこちらに地雷が埋まっている筈。

意外にも第二次麻生内閣の可能性は充分あり得る。

散々批判に晒されている麻生さんなのでここでは功について考えてみよう。

まず、なにより政権を投げ出さなかったこと。なにしろ安倍・福田と2代続いて政権を放棄し、「お坊ちゃまはやっぱ駄目」といわれ始めたが、バリバリのお坊ちゃまの麻生さんは持ちこたえた(本人は「生まれはいいが育ちは悪い」といっているらしい)。政治家にとってストレス耐性は必要不可欠な素養だ。さすがオリンピックに出ただけのことはある。
○麻生首相:「首相はドス黒いまでの孤独に耐えられないと」

麻生さんに知性やカリスマは期待できないが、腹は太い。政治的主張も日本の未来ビジョンについてもほとんど伝わらないが、この人は人を信頼できる。

よって官僚が踊る。麻生さんではなくオバマ大統領に触発されて新しい政策が次々に出てきた。エコポイントやエコカー減税、太陽光発電の補助金などグリーンニューディールディール政策は一気に開花した。高速道路千円も批判は多いがそれなりに効果が上がっている。伸び悩んでいたETC装着率が大幅に改善した。

麻生政権が長期化すれば官僚主導の政治はいっそう強くなることだろう。ただ、優れた政策ならば誰が主導権を握ろうが構わない。国がよくなるならそれでいい。

背理法で考えても麻生さんは有利だ。自民党内で麻生さんを除いて誰が首相の器か? 個人的には中川秀直さんか、少し不気味だが石破茂さんあたりが相応しいと思うが、この大不況の中で火中の栗を拾う役を担わせるわけにはいかない。出番はもう少し先がいい。

民主党が仮に政権を取ったとしても、混乱を招くだけだろう。このような最悪な経済情勢で政治力を発揮できるような力は備わっていない。即座に国民からそっぽを向かれてしまう。

という訳で麻生さんがもう2-3年総理の座にあったほうが無難な選択だろう。この不況はもうしばらく耐えしのぐしかなさそうだ。
  

Posted by たまゆらゆら at 02:29Comments(0)政治・経済

2009年06月25日

強毒性インフルエンザのパンデミックを防げるのか?

日本国内での新型インフルエンザの関連ニュースはあまり聞こえなくなった。日本各地に感染者が確認され、最早感染が確認されていない県が少数派となった。風評被害などを拡大させない配慮もあるだろう。その毒性が季節性とあまり変わりないことから恐怖感もほとんど消失した。ニュースソースとしてつまらなくなったと言うことだろう。
○福島で初の新型インフル感染確認、国内感染者は944人に


一方、南半球では感染が急拡大し、このため6月11日にWHOはフェーズ6を宣言した。
○ 豪の新型インフル感染147人 南半球で高まる拡大懸念
○新型インフル、南米で感染者急増 チリやアルゼンチン
○ 新型インフル、「フェーズ6」引き上げを宣言…WHO
○「パンデミック、あと3年は続く」 WHO進藤医務官

WHOの宣言に対してオーストラリアでは異なる対応を取ろうとしている。「プロテクト」フェーズという独自の対策を行動指針にしている。記事中にもあるようにWHOの対策は強毒性を想定したもので今回の弱毒性タイプにはなじまないと判断した模様。
○オーストラリアは26日(金)までに「プロテクト」フェーズへ移行

国内での関心低下をよそに感染の拡大は続いている。年末には国内でもこの問題が再発してくることは確実だ。冬になり大気が乾燥することで一気に感染者が増えるからだ。オーストラリアの対策効果を充分注視して冬を迎えるべきだろう。

ワクチン開発は着々と進み、冬には間に合うような気がする。
○【韓国ブログ】韓国世界初新型インフルのワクチン開発に成功か
○新型インフルエンザA (H1N1)に対するワクチン

やはりそうなると変異株が気になる。強毒性にでもなればこんな呑気にしてはいられない。毒性はまだ確認されていないが変異は確実に起きているようだ。
○新型インフル、人の体内で急速増殖能力…中国女性から採取
○ 【新型インフル】「変種ウィルス、ブラジルで初めて発見」

今回の新型インフルエンザは予行演習だとして、強毒性インフルエンザが発生したときパンデミックは本当に防げるのだろうか? 答えはノーだ。これは誰の目にも明らかだろう。WHOの宣言通り行動してもパンデミックは抑えられない。国権を発動して人の往来の抑制、それにかかわる物流の制限を行ってはじめて可能となる。しかし、これではパンデミックは防止できるが世界経済へのダメージは計り知れない。つまり現実的な対策とはいえない。

現実的にできることは、学校閉鎖などの従来型の対応と発熱外来を充分設置すること。そしてワクチンをすばやく投入すること。このくらいだろう。

ワクチンに関してはかなり期待の持てるニュースがある。
○ インフル万能ワクチン開発、「新型」予防にも期待 厚労省研究班
○ 新型インフルエンザ ワクチン開発に新発想 北大・梶野准教授ら

万能ワクチンが誕生すればインフルエンザなんか怖くないと高をくくれるが、そこだけに期待することはあまりに危険。多方面からの対策が重要になる。

そもそもインフルエンザは文明病だといえる。その意味では人災であるとさえいえる。なぜならば大流行するA型のインフルエンザに関しては家畜経由の感染症だからだ。もし、トリやブタなどの家畜飼育をやめてしまえばインフルエンザは流行しなくなる。しかし、それでは人類の貴重なタンパク源が失われるので、その選択はありえない。もう少し現実的な対策としては、家畜のトリとブタを接触させないように制限を加えることである。トリからブタ、ブタからヒトが感染ルートとみられるからだ。全世界的に法的な縛りをかければある程度有効かもしれないが、発展途上国の農村でそのような法律が通用するだろうか? またトリからヒトへの直接感染も確認されているので有効性に疑問も残る。
○ トリインフルエンザ

高病原性鳥インフルエンザの自然宿主であるカモなどの水鳥を根絶する作戦もある。インフルエンザウィルスは本来カモに寄生してきたウィルスで、カモにとっては無害。いってみれば健康保菌者の状態で自然界を飛び回っているのである。それがニワトリなどと接触することで毒性を発揮し、遺伝子変異を繰り返して最終的に人間に及ぶのである。よってカモなどの水鳥を根絶することは相当有効な防止対策になる。インフルエンザウィルスの根城を消してしまうということである。

この対策は動物愛護団体などから猛烈な反対を受けることは必至。まずとりえない対策だと思う。それでも人類の生存に関わるような事態にまで発展すればやむを得ないこととなる可能性は残される。

過去に日本住血吸虫病という寄生虫による風土病があった。これは日本住血吸虫が体内に寄生し、最終的には肝硬変などで死に至ることもある重篤な疾病であったが、ミヤイリガイという宿主を駆除することによって完全に根絶することに成功している。
○日本住血吸虫

もっと現実的な対策として、ブタの遺伝子改変ということも行われるべきだろう。ブタは種を超えてウィルスに感染しやすい。人獣共通感染症といって犬や猫、牛、羊などから人間に感染するウィルスは多く存在するが、インフルエンザに関していえば、ブタ経由がほとんど(トリからも確認されてはいるが希である)。インフルエンザの流行にブタが介在するケースがほとんどといえる。

であるなら、遺伝子工学の粋を集めてインフルエンザに感染しにくい遺伝子置き換えブタを作り出せないだろうか? 成功すれば極めて有効な対策となる。ただし、この遺伝子置き換えブタが商業的に流通するか否かは不明。

  

Posted by たまゆらゆら at 00:13Comments(0)新型インフルエンザ

2009年06月17日

『1Q84』Book3・Book4

村上春樹『1Q84』Book1・Book2を読了。もちろん面白かったし、読み終えるのが惜しいとさえ思った。純愛に感動もした。

でも、なにか消化不良というか、釈然としないというか。

あまりにも未解決部分が多すぎるのだ。様々な伏線が張られているのに、それについてまったく触れられないまま置き去りされてしまったかのような印象がある。

※これから読もうとする人はここから先、ネタばれ注意。

たとえば失踪した編集者の小松や戎野教授はいったいどうなってしまったのか? 「さきがけ」の報復は? 特に二人のボディ・ガードはその後どう動いているのか? その報復に対してタマルはどう防戦するのか? リトル・ピープルの報復は? 新しいレシバァは誰? つばさはほんとうに消えたのか? 老婦人のその後は? アザミって女の子、一度も登場してないよな? 二つの月はそのままなの? 1984年はどうなっている? 結局のところ、リトル・ピープルっていったい何なのよ? 最も気になるのはやはり天吾と青豆だけど、ふかえりとの関係はどうなる?

疑問文の嵐の如き、読後感。はっきり言おう! 絶対に続きがある。

つまり、BOOK1<4月-6月>・BOOK2<7月-9月>に続いて、BOOK3<10月-11月>が発刊されるのだ。きっとそうに違いないし、そうでないと困ってしまう。

そうであるなら発刊は9月だろう。場合によってはBOOK4<12月>ってのがあり得るかも? もしくは『1Q95』とタイトルを改めて再スタートさせるのかも。ならばかつてないほどの大長編が誕生する。

今回の村上作品は従来のものになかったものを感じる。いままでの主人公はなされるがまま、流されるままに身を横たえてきたような生き方だったが今回の登場人物は、そうなってしまいそうな時に自らの意思で状況を変えてしまおうとするポジティブさがある。だからか、なんだかあのうら悲しい読後感に引きずられなかった。なにか吹っ切れた感じがする。

一個人の意思決定と行動が世界存在そのものに善くも悪くも影響を与えるという世界観が示されているともとれる。従来の運命論的な厭世主義からは完全に逸脱している。これは大いなる変化だ。

もうひとつ。父が存在している。ただし、その存在は希薄。他人となって人生からフェードアウトしてしまう父親、殺されても子どもに何の感情も想起させられない父親。共に愛されない父親像だ。それでも従来の作品のように不在ではない。これも大いなる変化だ。

村上作品に、もし愛される父親、尊敬される父親が登場したら、それは最早、村上春樹ではないだろう。なにか別のジャンルの文芸作品となってしまう。

だとすると次回作で戎野・アザミ親子の関係は注目される。崩壊していない親子関係がはじめて描かれるのだろうか? それともやはり問題を抱えているのだろうか? ぼくは後者に賭ける。

一方、母親像。こちらは甘く切ない感情を与えるのだが、愛する者を裏切り離れていく、もしくは愛する者を愛しきれない儚い存在として描かれている。「母は強し」という格言は村上春樹に通用しない。

父親像と母親像の崩壊は、根源的な喪失感と大きく関わっていることは間違いなさそうだ。家庭が崩壊し続ける現代社会にあって同じ問題を抱える人は多いだろう。今から25年前にそれは深刻な社会問題となっていた。村上作品に共感できる人が多いのはそのためだろうか? 

ならば現在はどうなんだろう。中年世代と同じように共感できる若者はどのくらいいるだろう。それとも村上春樹とはいえ、その読者層の中心は70's ・80'sと呼ばれる世代だろうか? 若い世代の反応にちょっと興味が湧く。

村上作品において男女の性愛のみが唯一価値あるものとして描かれている。絆としては不確かでありながらが、その尊さはときに極大にまで美化されている。このあたりが女性層に支持される理由なのだろう。

言ってみれば恋愛偏重主義でもあるのだが、なぜか40半ばのオヤジでも納得してしまう。恋愛偏重主義者は神や仏で救われることはない。唯一愛する異性によって救われるのだ。そしてときにそれは実在するのだ。

言い換えると恋愛偏重主義者は反戦・反カルト的な位置付けとなる。世界の平和と繁栄は恋愛偏重主義者によってもたらされる。

まさにLove & Peace !! 村上春樹ってつまりそういうことなのだ。
  

Posted by たまゆらゆら at 18:46Comments(7)

2009年06月11日

村上春樹……また買ってしまった。

新刊が出るとなぜか必ず買う。そしてすべて完読する。
記憶のかぎりでは高校時代に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』。その後、文庫で『風の歌を聴け』・『1973年のピンボール』・『羊をめぐる冒険』を続けざまに読み、村上ワールドにすっかりはまる。

二十代に『ノルウェイの森』・『ダンス・ダンス・ダンス』、三十代で『ねじまき鳥クロニクル』。

四十代で『海辺のカフカ』・『アフターダーク』。

おお、いま気づいたけど『国境の南、太陽の西』を読んでいない。なぜかはわからんがたぶん見落とし。今度読もう。

短編もだいたい読んでいる(と思う)。「象の消滅」は特にいい。

さて、新刊。
『1Q84』Book1・Book2 新潮社 各1,800円也。

http://mainichi.jp/enta/photo/news/20090610mog00m200008000c.html

すでにミリオンセラーとなって書店では売り切れ。ぼくは出版されることさえ知らずアマゾンで偶然発見して速攻で予約(それでも初版は入手できなかった)。

出版に関してなんの事前情報もない。村上ファンならずとも情報飢餓状態に陥り、本を眼にすれば購入せざるを得ない状況になってしまっていた。なんともうまい販売戦略だけども、やっぱりそれは村上春樹だからこそだろう。

情報過多の時代にあって村上春樹はいまだ伝説の作家。滅多にマスコミに登場しない。かと、思っていると突然イスラエルで反戦演説。その勇気に脱帽。ますます伝説の作家になる。

http://www.youtube.com/watch?v=hDwvO64S9B4&feature=related

なんと本を読み出してからしばらく『IQ84』だと思い込んでいた。「知能指数がテーマ? それもちっと低い」という先入観で読み始めてしまった。『1Q84』は、ジョージ・オーエルのディストピア小説『1984』にオマージュを込めたタイトル。オーエルのビッグ・ブラザーに対してリトル・ピープルが登場している。

現在Book2半ばあたりまで読み進んだ。この2冊で完結なのかどうかよくわからない。

もちろん面白い。舞台は25年前のバブルが兆し始めた頃の日本。肉食系女子のさきがけとも思える青豆(あおまめ、あだ名でなく本姓)の章と小説家を志す数学講師の天吾(こちらは名)の章で語られる。自己の存在が希薄になるような種類のトラウマを抱え込んだ男女のそれぞれの物語が次第に絡んでくる。暗殺あり、過激性描写あり、パラレルワールドありと読者を飽きさせないエンターテイメントがてんこ盛り。しかし、それでもとびっきりの恋愛小説のはず(まだ読み切ってないので)。

レトリックの切れも相変わらず。思わず吹き出すようなのもある。

司法や警察関係者は憤慨するかもしれない。道路公団民営化にもそれとなく賛意を表しているように受け取られる。

カルト教団には断固とした姿勢で対峙している。名称こそ変更してはあるが、輸血を禁じるキリスト系カルトが実在の宗教団体を指していることは誰の目にも明らか。農業・牧畜業を基盤としたコミューンってのも実在している。

これは結構勇気のいることだ。場合によっては狂信者に付け狙われ、命の危険に晒されることだってある。事実、そうして命を失った人も多々いる。

宗教を否定しているわけではないだろうが、心の空虚感を安易に宗教で埋め合わせしようとすることへの警鐘ととらえられる。オウム事件を驚くほど熱心に取材し書き下ろしたノンフィクション『アンダーグラウンド』・『約束された場所で』。ここでたどりついた帰結のようなものが、『1Q84』で昇華されている。

村上春樹を論じる立場にはないが、反戦・反カルトの強いメッセージを感じる。それもそちら側にいってしまいそうな人たちを正気に戻すような作用がある。

つまり村上春樹が読まれるということは、それだけバランスを欠いた人たちがいるということだ。春樹を読んでなんとかこちら側に踏みとどまっていられる人たちが百万人近く、この日本にいる。ロシア・中国・フランスをはじめ世界中で読まれている訳だから、その数は億に迫るだろう。

村上作品が文学と称される理由はまさにそこにある。なにかが心に積もる。青春期から20年以上も読み継いで、なお同様の感動を与えられる作家はほかにいない(川上弘美はちょっといいと思う)。

ワンパターンという批判もあるが、やはり徐々に変容があり進化がある。失われた物の本質が次第に明らかになるような手応えというか、個人を超えたところにその存在を捉えようとする試みというか、これまた評論家でないのでうまく言及できない。村上春樹の評論家って誰が優れているのだろう? ちょっと読んでみようか。

村上春樹は還暦を超えた。あとどれくらい作品を贈ってくれるだろう。その後、世界は正気を保てるだろうか? 世代を継ぐ作家は現れるだろうか?  

Posted by たまゆらゆら at 01:59Comments(0)

2009年06月04日

環境左派 vs 環境右派


なんだか寒くないかい? 衣替えの季節なのに我が家にはいまだコタツが居間を占拠している。特に夜は寒い。今晩はそうでもないけど。6月ってこんなんだっけ?

温暖化が足踏みしている?

○消えた太陽黒点、迫る地球寒冷化?
http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/techno/tec090513.html

すわっ、氷河期に突入か!!
少し前の記事だけど太陽活動は観測史上最低の水準にあるという。地球を二酸化炭素やメタンの毛布にくるんでちょうどいいくらいなのかもしれない。

でも冷静にデータを調べたらやっぱり今年も順調に温暖化まっしぐら。

○岐阜県の気象・地震概況
http://www.tokyo-jma.go.jp/home/gaikyo/632/index.html

2009年は1月から5月まで平均気温は平年を超えている。どうも釈然としないが事実だから仕方ない。

○ 専門家の予測:今年の世界の平均気温は史上トップ5に
http://jp.eastday.com/node2/node3/node11/userobject1ai44917.html

それどころか、世界中で記録更新中。今年はとんでもなく暑いと予想されている。暑いのはいやだな。この体型、すぐにオーバーヒートする仕様だ。ほんとうに動けなくなる。ガリガリ君を日に10本補給せねばなるまい。

片や、氷に閉ざされた世界も御免被る。そうなればビキニもミニスカートも見納めとなる。

全球凍結

いまから6億年前に地球は氷の固まりだったことがあった。大昔の話だ。ここまで冷え込まなかったものの1万年くらい前も氷河期だった。僕らの先祖がシベリアでマンモスを狩り、ベーリング海峡をわたってアメリカ大陸に達したころだ。6億年前も1万年前も大昔に変わりないけど、違いもある。氷河期は周期的に繰り返す。今回の太陽活動がその予兆なのかもしれない。

思うに我々人類は地球環境がどうあればいいと思っているのだろう。
・ 自然環境維持派 なにがなんでも自然環境をそのまま維持する
・ 最適環境改変派 人類の生存に適するように環境を作りかえる。

大まかに分ければこの二つに分類されると思う。環境保護やエコロジーを論ずる方はこのいずれか、あるいはその間のどこかに分類されるはず。予め断っておくが、なにか特定の団体や個人がこのいずれかに分類されるということではない。あらゆる環境保護活動がこの両極の間に存在できるという座標や目安のようなものだ。

いまの地球温暖化問題。温暖化阻止はこの両者の共通の宿願となる。二酸化炭素の排出は人為的であり悪である。こう考えるのは自然環境維持派だ。最適環境改変派は温暖化が進まないレベルまで削減できればよい。両者の主張は微妙にずれる。

自然環境維持派はいってみれば環境過激派で一般にはなじまない。主義主張というより宗教に近い。自然とは人類がなにもいじらないこと、干渉しないことを意味する。「無為自然」が一番。

最適環境改変派は一見まともで穏健にみえるかもしれないが、実はとんでもない計画をしている。

テラフォーミング

火星の環境を壊滅的に破壊して人類の生存を可能としようという計画がある。実現可能かどうかは知らないが、最適環境改変派が必ずしも穏健ということにはならない。

イギリス映画『サンシャイン 2057』

真田広之が船長役で出演している。太陽活動が鈍って地球が寒冷化した近未来、太陽に核爆弾を投下して太陽活動の活発化しようというSF映画だ。まあまあのできだと思ったが、思弁的にしようとしてコケてしまったような中途半端な作りだった。これも最適環境改変派の極端な一例。

自然環境維持派を環境左派、最適環境改変派を環境右派と仮に命名しよう。

近い将来、この右派と左派は必ず対立する。
たとえば砂漠の緑化運動。これは見方を変えれば砂漠の環境破壊ということになる。砂漠に住む固有種を絶滅においやる可能性もある。左派は絶対反対の立場をとる。

地球の寒冷化が進めばどうなるだろう。右派は二酸化炭素排出を歓迎するようになる。毛布を厚くして大気を暖めるべきだと主張する。当然だが左派はこの主張を受け入れない。

メタンハイドレートの採掘の是非は? 北極海の資源争奪は? 耕作地の拡大は? 熱帯林の伐採は? 

もっと身近な例だと、杉の植林は正しい? 割り箸は使うべき? プラスティックは分別すべき? 

答えが簡単そうでほんとうに正しいのか、よく考えるとだんだんわからなく問題も結構多い。

環境保護は科学というより美学で進めるべきだろう。どっちがより美しいかという感性が結論を導く。  

Posted by たまゆらゆら at 00:59Comments(0)環境・エコロジー

2009年05月27日

「知る」という恐怖 インフルエンザ対策を検証する

新型インフルエンザが本日静岡で確認された。岐阜県では、いまだ感染確認はされないものの感染が報じられた滋賀と静岡に挟まれてしまった。感染の報告が出るのは最早時間の問題。自分や自分の家族、関係者が第一号にならないことを願うしかない。

○日本“感染源”扱い…韓国の「危険国」指定に大揺れ
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/medical/257068/

○「マスクに手洗い、日本は偏執狂」 NYタイムズ神戸発ルポ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090523-00000072-san-int

偏執狂と罵られ、なおかつ感染が拡大しつづけるという不名誉。しかし、記事中にもあるように、感染者数を性格に把握している国は唯一日本だけといってもいい。その証拠に、静岡の感染者はマニラから帰国した児童だった。にもかかわらずフィリピンは21日に初の感染者を出したと報道したまま、ほぼ沈黙。感染拡大を公表したくないのか、把握できないのか。

○フィリピンでも感染確認、10歳少女
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20090522-497415.html

フィリピンに限らず、新興国や発展途上国はどこも似たり寄ったりだろう。

○新型インフル感染者を糾弾する、 中国ネチズン“人肉捜索”の凄まじさ
http://diamond.jp/series/analysis/10086/

彼国では風邪くらいで病院にいったりしないし、隔離なんかされたらたまらないという思いも強い。仮に診察を受けたとしてもインフルエンザの検査システムが充実していない。さらには医療機関そのものが感染報告を怠ることも多々あるかもしれない。もっといえば観光が主な産業の場合、国家が積極的に感染を把握し公表しようとしない。そんなことに予算を割いても国民の支持は得られない。

その点、日本は異質な対応を行っている。過剰反応とさえみられる。識者の中にも批判的な意見は多い。経済的損失も拡大している。特に京都などの観光地では致命的な売上の減少に苛まれている。政府が援助に乗り出しているがいつ回復するのか、皆目わからない。皮肉にもインフルエンザ対策が効果をはっきしているので感染はじわじわとしか拡大しない。同様に観光客が京都・大阪方面を避けなければならない期間もじわじわと延びている。いっそ全国に蔓延してしまえば幾分でも観光客が戻るだろう。不謹慎な意見だがそれが事実だ。

○「日本が感染症対策の途上国である」
厚労省の新型インフルエンザ対策の欠陥を、木村もりよ医師に聞く
http://diamond.jp/series/tsujihiro/10071/

それでも日本の対応は正しいと思う。空港検疫は確かに効果が薄かったかもしれない(それでも6人を見つけたのだが)。しかし、学校・学級閉鎖はそれなりの効果があったと思われる。感染スピードが衰えたようにみえるからだ。人々がこぞってマスクを着用するのも正しい。過信はできないがそれなりに効果が期待できる。手洗い・うがいも日本人気質が励行させる。正しい衛生習慣だ。

問題なのは病院だ。指摘されるとおり、病院の待合室が感染経路になってしまう可能性が高い。なんらかの対策をとるべきだろうが今秋までに発熱外来を急激に増床させる決断ができるだろうか? 桝添さん。

「重症化するまで病院に行かない」という対策は納得しかねる。一般的にタミフルが有効なうち、つまり48時間以内に診療にいってしまう。

○今シーズンのAソ連型タミフル耐性ウイルス、日本で93%に見つかる
http://www.nikkeibp.co.jp/article/news/20090109/123299/

確かにタミフルを使いすぎると厄介なことになるらしい。個人レベルでは抑制ができる話ではない。

たまたま今回は弱毒性だったが、もし強毒性だったらそんな呑気なことはいっていられない。強毒性の鳥インフルエンザが広まり始めたらどうなるだろう。

○感染者は最短4日で死亡。 その数日本国内で210万人以上!
新型インフルエンザ大流行に対策はあるのか
http://diamond.jp/series/pandemic/10001/

例年のように鳥インフルエンザやSARSなどウィルス性の疾病が矢継ぎ早に出現している。

なぜ、そうなったのか? 「昔は知らないだけだった」というのが真相だろう。医学の進歩は「知る」という恐怖を与えた。この恐怖を克服するにはさらなる「知」が重ねられるほかにはない。  

Posted by たまゆらゆら at 02:54Comments(0)新型インフルエンザ

2009年05月21日

新型インフルエンザを予想する

新型インフルエンザの感染がついに首都圏でも報告された。アメリカから帰ったばかりの女子高生だそうだが空港での検査では陰性だったという。神戸などでは渡航歴のない人たちに次々に感染が確認されている。

○日本、感染者数で4番目に=世界では9800人超−新型インフル
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090519-00000007-jij-int
○新型インフル 近づく「感染拡大期」 検疫から地域医療にシフト
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090518-00000074-san-soci

残念ながら、パンデミック(感染爆発)を防ぐ手立てはなさそうだ。

○新型インフルエンザ:致死率、推定0.4% アジア風邪並み--英チーム分析
http://mainichi.jp/select/world/news/20090512dde041040045000c.html

深刻な状況の割にパニックになっていないのは、今回のインフルエンザウィルスが不幸中の幸いというか弱毒性だからだろう。0.4%という致死率は決して低くないものの健康で免疫力に自信のある人が恐怖を感じる数字ではない。またタミフルが効果的というニュースも安心感を広げている。舛添厚労相が「季節性と変わらない」と発言したことも大きい。

でも手放しで安心しきってはいけない。

○「季節性と同じでない」=成人に重症例、死者も−感染拡大続く・押谷東北大教授
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090520-00000174-jij-soci

免疫力が強い若者の方がかえって症状が重篤になるケースがあるようだ。スペイン風邪のときも屈強な兵士にたくさんの死亡例がみられる。これはサイトカイン・ストームと呼ばれるいわば免疫暴走が原因だそうだ。自身の免疫で自身を破壊してしまうらしい。インフルエンザに罹ったのに免疫抑制剤を投与するというような奇妙な治療を受けることになる。

パンデミックになってインフルエンザの猛威が長期化すると経済活動もダメージが大きい。

○新型インフルの影響?今季最少の観客、京都が寂しい敗戦
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090425-436828/news/20090520-OYT1T00859.htm

京都方面の修学旅行が見直されるらしい。高山で感染者が出れば一気に観光が冷え込んでしまうだろう。最早そうならないように祈るほかない。

今回の新型インフレエンザの終息(もしくは収束?)を予想してみよう。

これから秋にかけて全国に蔓延し、学校や職場などの身近なところに感染者が出るようになる。そこそこの恐怖を感じる。オーストラリアなどの南半球では冬になって感染爆発がおきているかもしれない。国内でも死者が出たと報道されるが、そのうちあまり気にならなくなる。感染してその後回復した人から直接話が聞けるようになるからだ。「そんな大したことない」と思うだろう。

しかし、寒くなり乾燥してくると感染者が急に増え始める。季節性のインフルエンザよりは感染力が強いらしい。ちょっとした恐怖を感じるものの、もし、この時点で有効なワクチン接種が可能になればこの脅威は急激に縮小する。しかし、ワクチン開発に手間取るかワクチン増産が間に合わなければ、小規模なパニックになるだろう。

それでもタミフルやリレンザなどの抗インフルエンザ薬があるのでそれほど深刻にならない。本格的な冬が到来すると今度は季節性のインフルエンザと区別がつかなくなる。冬のインフルエンザには馴れている。だから仮に罹ったとしてもあまり怖いと感じないだろう。

春になって季節性の方は終息したが、新型は相変わらず猛威を振るっていることにちょっと驚く。それでもさすがにこの時点で有効なワクチンが行き渡るのでパニックは完全に収まっている。

来年の夏頃、国民の多くが新型インフルエンザに感染したか、ワクチンを投与している。

ということでタミフル耐性とか強毒性に変異しないかぎり、来年夏には騒ぎは収束する。しかし、新型インフルエンザという疾病そのものが終息するかどうかはわからない。変異を繰り返して季節性インフルエンザのように流行を繰り返す可能性がある。

と、安易で適当な予想をしてみた。はずれても責任は負えない。あしからず。  

Posted by たまゆらゆら at 02:15Comments(0)新型インフルエンザ

2009年05月14日

官僚たるもの本来は超優秀なのだ!

エコポイントは商品券やプリペイドカードと交換可能になるらしい。出口が広がれば安心して利用できることになり、エコポイントの利用者も増えるだろう。

○エコポイント、商品券などと交換可能に
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0905/13/news032.html

さて、前回を受けて今回は加藤敏春氏のエコマネー構想を探り、今回のエコポイントによる経済政策との関連づけをしてみたい。

結論から言うとたぶん繋がっている。加藤氏が今日まで地道に続けてきたエコマネーに関する活動がようやく国に認められ、段階的に導入されはじめたものとみるとわかり易い。今回のエコポイントは第一弾というか、本尊であるエコマネーにつなげていくための架け橋のような位置づけだろう。

国民に受け入れられるか、嗜好に合っているかをみる試金石でもある。

加藤敏春氏本人は今回のエコポイント導入に関してはつい三日前に素っ気ないコメントを残しているのみ。それも二ヶ月ぶりの更新記事。テレビの報道番組『サキヨミ』からコメントを求められたときの内容について言及している。もちろん好意的な内容ではあるが、外部の評価というより当事者のような物言いであるように感じる。

○エコポイントを活用した省エネ家電買い替え
http://blog.goo.ne.jp/ecomoney/e/b48840b2a19160b7e7c96e87440ec920

加藤氏は元々通産官僚。つまり現在の経済産業省が出身母体である。今回の政策は環境省、経済産業省、総務省の共同政策となっているが力関係からいっても音頭取りは経済産業省だろう。つまり、加藤氏はこの政策の顧問であり指導的な立場であったと見るべきだろう。

この加藤敏春氏のエコマネー構想だが、詳しく知りたい方は下記サイトとブログを読んでいただきたい。

○減CO2(ゲンコツ)プロジェクト
http://www.ecomoney.jp/
○エコポイント3.0
http://blog.goo.ne.jp/ecomoney

もっと詳しく知りたい方は

加藤敏春著『安心革命―日本発で「マネー経済」をブレークせよ! 』
ビジネス社 (2003/10) ¥1,785
ISBN-10: 4828410775

7年前の出版だけれども、創造的・野心的な内容で充分刺激される(まだ読書中だけど…)。今回の金融危機がじゅうぶん予見されているし、それだけにかえって説得力が増している。未来の経済社会を知るための手がかりとなる一冊。

あえて誤りを恐れずにいうなら、エコマネーと従来の地域通貨・補完通貨の違いはその目的にある。地域通貨・補完通貨は様々なタイプがあるものの『市場主義経済の発展』という呪縛からは抜け出せてはいなかった。一方のエコマネーの主眼は地域社会・地域コミュニティーの再生にある。従来の貨幣経済でははかることのできなかった人々の営み、特にボランティア活動についてエコマネーはその価値の測定と価値の交換を可能とする。

と、加藤氏は提唱している。エコロジー、エコノミーに加え、エコミュニティーの3つのエコが、エコマネーのエコだという。エコミュニティー(ecommunity)というのちょっと苦しいんだけど…。

ともあれ、日本の未来を憂え具体的な解決策を本気で考え、なおかつ実行に移そうとしているリーダーがいるということだけでなんだか嬉しくなる。

ぼくは反官僚的な発言が多かったけれどもそれは、霞ヶ関の官僚が本来の義務を忘れ、省益を優先し自らの保身に専念し、最悪の場合私服を肥やすことに汲々としている姿があまりにも醜かったからだ。

しかし、本来官僚になる人たちは超優秀なのだ。彼らが本気でこの国の未来を考えてくれるならば大きな希望になる。加藤氏がそういうひとりであることを願ってやまない。

「エコポイント」という商標を加藤氏が個人名義で取得していることで非難されているが、これは防衛的な意味合いであり決して私服を肥やそうとしているはずはない。どこかの企業に勝手に使われたらかなわないが、事前に国が取得するわけにもいかない。やむをえず個人名義で押さえたというところだと思う。  

Posted by たまゆらゆら at 01:07Comments(0)政治・経済

2009年05月07日

エコポイントのエコって…

エコポイントを実施するにあたり財源確保はどうするのかってことだったけど、やっぱり補正予算らしい。

○政府・与党 経済対策財政出動15兆円規模 地デジテレビ購入に3・9万円還元
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090408/plc0904082204020-n1.htm

過去最大の補正予算となる見込み。エコポイントで15兆円をまるまる使い切ってしまうわけではないが、相当な規模の経済対策であることは間違いない。

この中で「財政投融資特別会計の積立金約3兆円」とあるが、いわゆる霞ヶ関埋蔵金のことだろう。この部分は税金ではないが残りの11兆円は国債発行でまかなう。つまり将来税金で埋め合わせることになる。

エコポイントは最終的に法定通貨である日本銀行券との兌換が迫られる。今回の場合だと電気屋さんや家電量販店が消費者に発行したエコポイントの兌換を政府の関係機関に求めることになる。あるいはエコポイントを受け取った小売店などが兌換をもとめるか、いずれかだろうと思う。

○総務省 エコポイントの活用によるグリーン家電普及促進事業 の実施に係る団体の募集について
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/02ryutsu07_000004.html

エコポイントが今回限りの特別な措置であるならば、財源はこれで十分だが、継続的に実施して消費社会に根付かせようとするならば、長期的安定的な財源を確保する必要がある。

もっとも妥当な財源はやはり消費税となるんじゃないか? そうなれば税率はアップになる。10 – 15パーセント程度の覚悟は必要。もちろん嬉しくはないが環境や福祉などに再分配されるならば致し方ない。

「何だ、所詮は税金頼みなのか。エコポイントってつまらない」と思うかもしれないが、そうでもない。

たとえば、エコポイントは時間と共に減価する。となれば減価分は発行者側から見れば利潤になる。見方によっては通貨発行益(シニョリッジ)といえなくもない。

そもそも日本銀行券と兌換を求めることが財源を必要とするのであって、兌換されなければ税金の投入も入らない。兌換を保証しながらも兌換されない、もしくは兌換率が低い状態を目指せばいいということになる。

具体的にいえば、販売店が消費者から受け取ったエコポイントを銀行券に変えず、そのままメーカーからの仕入れに使ってしまえばいいのである。そのメーカーもそのエコポイントを部品メーカーの仕入代金の代わりとしてしまえればさらに流通範囲が広がる。さすがに海外とのやりとりは難しそうなので自ずと限界はあるものの、その部品メーカーとて社員の給与の一部とできないこともない。

エコポイントの流通にインセンティブを与えれば意外に早く流通範囲が広がる。明らかなのはエコポイントでの消費に消費税がかからない。これでも十分なインセンティブだが、給与として受け取った場合も所得税がかからないなんてことも理屈の上では可能だ。

そのようなエコポイント全盛の時代の企業会計がどうなっているのか、正直検討もつかない。まさに二重帳簿のようなややこしい超複合会計となってしまうだろう。

困ったことに政府の税収も膨らまない。痛し痒しといった処もある。

もっと進んで考えるならばいわゆる「政府紙幣」にこのエコポイントをあててしまえばどうだろうか! 日銀の日本銀行券と政府のエコポイントの二重通貨制度をとるのである。政府は通貨発行益で十分な財源を得られる。

さて、このエコポイントのエコってエコロジー【ecology】のエコ、それともエコノミー【economy】のエコ? 今回、環境に優しい家電に対してこのポイントが付与されるわけだからエコロジーだろうと単純に思ってしまう。でも地デジ対応にもっとも高く付与されるわけだから必ずしもエコロジーとばかりに向けられる訳でもなさそう。

ここからは類推での話。今回のエコポイントの前段階としてエコマネーがある。このエコマネーは和製英語で、その提唱者は加藤敏春氏だ。

○英語版のwikipediaに記事がある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Eco-Money

○加藤敏春氏プロフィール
http://www.ecomoney.jp/genco2project.html#profile

もと経済産業省の官僚だ。次回はこの加藤さんの構想を探ってみたい。  

Posted by たまゆらゆら at 01:15Comments(0)政治・経済