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2009年10月02日
勝手に高山の観光を考えてみた Part2
前の記事で「古い町並」の空間イメージ(ロケーション)が強すぎ、これに同等かそれ以上のイメージづくりが必要と書いた。
なぜ空間イメージに限定しているのかと言えば、このイメージこそが高山観光の最大の強みであり、だからこそ伸張しやすいと思われるからだ。旧高山市に限定してしまえば「古い町並」が観光資源のメインであり、その他のたとえば特産品(飛騨牛・中華そば)や文化(祭り)などは、付帯的といっても言い過ぎではないだろう。「古い町並」イメージがなければ、その他の観光資源も輝くことはない。

北海道であれば、カニなどの魚介類・乳製品など採れたての食が、北海道の大自然の空間イメージと渾然一体となって強い観光資源になっている。つまり北海道の食は空間イメージと同等の観光訴求力をもっている。
しかし、高山の食は、古い町並などの空間イメージと必ずしも一体化しているようには思えない。伝統的にある日本食(懐石料理・精進料理・山菜料理)などが本来ぴったりの食なのだが、充分にアピールできているとは思えない。伝統的な食文化は観光資源として強いポテンシャルが感じられる。今後の課題となってくると思う。
さて、この「古い町並」の空間イメージ以外のものを創出できるだろうか? 実はかなり難しい。というか、害になりさえする。高山を訪れる観光客の頭の中にはほぼ100%、古い町並みがセットされている。ここに他の空間イメージを同居させることは混乱を招くだけで強みにはならない。
逆に言えば「古い町並」イメージを強化すれば、もっと多くの観光資源が掘り起こされることになる。前言を翻すような書き方になってしまったが、新たなイメージ創出はいらない。イメージ強化が必要になっている。
「古い町並」のイメージ強化とは何だろう?
ひとつはやはり町並みの景観保全だ。イメージにそぐわない建造物や看板は極力減らしていくべきだろう。また車両の進入規制も有効な施策だ。
ただよくいわれるように町並みの店舗に出店規制することは賢明ではない。建物や景観の保全を優先するあまりに仕舞屋(しもたや)ばかりにしても観光には決してプラスにならない。
「古い町並」とよばれる上三之町界隈は元々江戸時代から続く町人街であり、当時有数の商店街であったわけだから店舗があることはむしろ歓迎されるべきである。もちろん店舗の内容についてふさわしいかどうかは問われてしかるべきだが、伝統的建造物でありながら店舗が賑わっているということはむしろ誇るべきなのである。白川郷の合掌造りは世界遺産でありながら、いまなお人が住んでいるという点が称賛されることと同じで、卑下することはなにもない。
くわえて観光客は江戸時代から続く商店街「古い町並」でショッピングを楽しみたいのだ。観光ニーズにもしっかり合致している。
問題にすべきなのは、次の二点だ。
「古い町並」 = 上三之町という位置づけ。現状、「古い町並」といえば上三之町を貫く一本の通りに限られている。確かに景観がもっともよく保全されているのは上三之町であるが、実際には伝統的な建造物や町並みはもっと広い範囲にある。
「古い町並」= 商店という単一イメージ。高山に残る伝統的な建造物や町並みは商店だった建物もあるが、それだけではない。武家屋敷や寺社がありお城もあった。職人も多数すんでいただろうし、旅人を休める旅籠もあった。
この2点を是正していくことが「古い町並」のイメージ強化に繋がる。(以下次週)
なぜ空間イメージに限定しているのかと言えば、このイメージこそが高山観光の最大の強みであり、だからこそ伸張しやすいと思われるからだ。旧高山市に限定してしまえば「古い町並」が観光資源のメインであり、その他のたとえば特産品(飛騨牛・中華そば)や文化(祭り)などは、付帯的といっても言い過ぎではないだろう。「古い町並」イメージがなければ、その他の観光資源も輝くことはない。

北海道であれば、カニなどの魚介類・乳製品など採れたての食が、北海道の大自然の空間イメージと渾然一体となって強い観光資源になっている。つまり北海道の食は空間イメージと同等の観光訴求力をもっている。
しかし、高山の食は、古い町並などの空間イメージと必ずしも一体化しているようには思えない。伝統的にある日本食(懐石料理・精進料理・山菜料理)などが本来ぴったりの食なのだが、充分にアピールできているとは思えない。伝統的な食文化は観光資源として強いポテンシャルが感じられる。今後の課題となってくると思う。
さて、この「古い町並」の空間イメージ以外のものを創出できるだろうか? 実はかなり難しい。というか、害になりさえする。高山を訪れる観光客の頭の中にはほぼ100%、古い町並みがセットされている。ここに他の空間イメージを同居させることは混乱を招くだけで強みにはならない。
逆に言えば「古い町並」イメージを強化すれば、もっと多くの観光資源が掘り起こされることになる。前言を翻すような書き方になってしまったが、新たなイメージ創出はいらない。イメージ強化が必要になっている。
「古い町並」のイメージ強化とは何だろう?
ひとつはやはり町並みの景観保全だ。イメージにそぐわない建造物や看板は極力減らしていくべきだろう。また車両の進入規制も有効な施策だ。
ただよくいわれるように町並みの店舗に出店規制することは賢明ではない。建物や景観の保全を優先するあまりに仕舞屋(しもたや)ばかりにしても観光には決してプラスにならない。
「古い町並」とよばれる上三之町界隈は元々江戸時代から続く町人街であり、当時有数の商店街であったわけだから店舗があることはむしろ歓迎されるべきである。もちろん店舗の内容についてふさわしいかどうかは問われてしかるべきだが、伝統的建造物でありながら店舗が賑わっているということはむしろ誇るべきなのである。白川郷の合掌造りは世界遺産でありながら、いまなお人が住んでいるという点が称賛されることと同じで、卑下することはなにもない。
くわえて観光客は江戸時代から続く商店街「古い町並」でショッピングを楽しみたいのだ。観光ニーズにもしっかり合致している。
問題にすべきなのは、次の二点だ。
「古い町並」 = 上三之町という位置づけ。現状、「古い町並」といえば上三之町を貫く一本の通りに限られている。確かに景観がもっともよく保全されているのは上三之町であるが、実際には伝統的な建造物や町並みはもっと広い範囲にある。
「古い町並」= 商店という単一イメージ。高山に残る伝統的な建造物や町並みは商店だった建物もあるが、それだけではない。武家屋敷や寺社がありお城もあった。職人も多数すんでいただろうし、旅人を休める旅籠もあった。
この2点を是正していくことが「古い町並」のイメージ強化に繋がる。(以下次週)
2009年09月25日
勝手に高山の観光を考えてみた Part1
シルバーウィーク様様。
9月の高山観光は前半まで低迷。しかし、この連休で一気に復活した。天候に恵まれたこともあって、お盆を超えゴールデンウィークに匹敵する観光客が訪れたといわれている。不況の真っ只中、なおかつ新型インフルエンザの拡大が懸念されている最中、これだけの活況を得られたことは、高山の観光がまだまだ魅力があるという証だ。

近年、なにかというと高山観光の危機説がまことしやかに囁かれることが多い。確かに上げ基調とはとてもいえない。期待される交通インフラの整備はほぼ終わり、大きな観光施設の建設や観光イベントの開催などの予定もない。トヨタなど企業業績の低迷で、多数を占める愛知県からのお客さんは財布の紐が堅くなっている。
一方で、外国人観光客は世界的不況にもかかわらず増加傾向にあるように思う。ただ、このところのドル安で北米からはさすがに減っているかもしれない。
統計もみないでいうのは申し訳ないが、たぶん去年と比べれば1割程度観光客が減っているのではないかと極めて大ざっぱに思っている。
TDLなど勝ち組テーマパークと比較すれば大きく水をあけられていることは間違いない。しかし、他の観光地と比較したら大健闘といってもいいのではないだろうか。
では、観光危機説を唱える人はなにを不安がっているのだろう。
高山の観光資源は「古い町並」を中心に川西側にコンパクトに集積している。非日常的なこのロケーションが高山観光の最大の魅力といっていい。そして、そうであるがため、それが弱点にもなっている。
イメージが強すぎるのだ。観光客にとって高山のイメージはイコール「古い町並」になっている。だから、陣屋→中橋→上三之町を歩けば、このイメージを体感でき、その時点で高山観光は実質的に終了している。あとはラーメンか飛騨牛を食っておしまい。次の観光地に行きましょうということになる。
こんな観光スタイルがここ20年来続いているのだ。こんな状態で観光地としての魅力が衰えていないのは、やはり「古い町並」が清水寺などに匹敵する世界遺産級の観光資源であるからだろう。
逆に言えば、特になにもしなくとも、あと20年くらいは観光都市としてやっていけるという見方もできる。
しかし、今後も観光産業を振興し国際観光都市として立脚していこうと考えるなら、なんらかの手立てをうっていかなければならない。
もっと長く高山に留まってもらうためには?
もっとリピートしてもらうためには?
もっとお金を使ってもらうためには?
そのためにはなにをしたらいいか。こういうところを戦略的に考えなければ観光産業の未来は切り開かれない。
というわけで、ひだっちブログを借りて、ぼくの考える観光戦略を勝手に論じてみたい。
まずロケーション。これは観光客が物理的に移動する空間や景色のことというよりも、頭の中に事前に思い浮かべている観光空間のイメージとして使っている。観光客はそのイメージを実体験することでその面白みを倍増させている。
さきほど書いたようにこのロケーションは「古い町並」が他を圧倒している。次に「朝市」・「屋台会館」・「飛騨の里」などが続いているのだろう。「朝市」はまずまずのロケーションだ。しかし、「古い町並」ロケには遠く及ばない。「屋台会館」は建造物のイメージが強くロケとして弱い。「飛騨の里」は本家白川郷が近くなってイメージとしての訴求力が完全に弱まってしまった。いまの売り方では回復は困難だろう。
他にもロケはあると思うが、「古い町並」が他を圧倒しているということに、納得していただけると思う。
簡単な話、「古い町並」ロケと同等かそれ以上に強いロケを創出できれば、観光戦略は成功する。もちろん、簡単な話ではない。しかし、そうしなければ観光がやせ細っていくことも事実。(以降、次回に続く)
9月の高山観光は前半まで低迷。しかし、この連休で一気に復活した。天候に恵まれたこともあって、お盆を超えゴールデンウィークに匹敵する観光客が訪れたといわれている。不況の真っ只中、なおかつ新型インフルエンザの拡大が懸念されている最中、これだけの活況を得られたことは、高山の観光がまだまだ魅力があるという証だ。

近年、なにかというと高山観光の危機説がまことしやかに囁かれることが多い。確かに上げ基調とはとてもいえない。期待される交通インフラの整備はほぼ終わり、大きな観光施設の建設や観光イベントの開催などの予定もない。トヨタなど企業業績の低迷で、多数を占める愛知県からのお客さんは財布の紐が堅くなっている。
一方で、外国人観光客は世界的不況にもかかわらず増加傾向にあるように思う。ただ、このところのドル安で北米からはさすがに減っているかもしれない。
統計もみないでいうのは申し訳ないが、たぶん去年と比べれば1割程度観光客が減っているのではないかと極めて大ざっぱに思っている。
TDLなど勝ち組テーマパークと比較すれば大きく水をあけられていることは間違いない。しかし、他の観光地と比較したら大健闘といってもいいのではないだろうか。
では、観光危機説を唱える人はなにを不安がっているのだろう。
高山の観光資源は「古い町並」を中心に川西側にコンパクトに集積している。非日常的なこのロケーションが高山観光の最大の魅力といっていい。そして、そうであるがため、それが弱点にもなっている。
イメージが強すぎるのだ。観光客にとって高山のイメージはイコール「古い町並」になっている。だから、陣屋→中橋→上三之町を歩けば、このイメージを体感でき、その時点で高山観光は実質的に終了している。あとはラーメンか飛騨牛を食っておしまい。次の観光地に行きましょうということになる。
こんな観光スタイルがここ20年来続いているのだ。こんな状態で観光地としての魅力が衰えていないのは、やはり「古い町並」が清水寺などに匹敵する世界遺産級の観光資源であるからだろう。
逆に言えば、特になにもしなくとも、あと20年くらいは観光都市としてやっていけるという見方もできる。
しかし、今後も観光産業を振興し国際観光都市として立脚していこうと考えるなら、なんらかの手立てをうっていかなければならない。
もっと長く高山に留まってもらうためには?
もっとリピートしてもらうためには?
もっとお金を使ってもらうためには?
そのためにはなにをしたらいいか。こういうところを戦略的に考えなければ観光産業の未来は切り開かれない。
というわけで、ひだっちブログを借りて、ぼくの考える観光戦略を勝手に論じてみたい。
まずロケーション。これは観光客が物理的に移動する空間や景色のことというよりも、頭の中に事前に思い浮かべている観光空間のイメージとして使っている。観光客はそのイメージを実体験することでその面白みを倍増させている。
さきほど書いたようにこのロケーションは「古い町並」が他を圧倒している。次に「朝市」・「屋台会館」・「飛騨の里」などが続いているのだろう。「朝市」はまずまずのロケーションだ。しかし、「古い町並」ロケには遠く及ばない。「屋台会館」は建造物のイメージが強くロケとして弱い。「飛騨の里」は本家白川郷が近くなってイメージとしての訴求力が完全に弱まってしまった。いまの売り方では回復は困難だろう。
他にもロケはあると思うが、「古い町並」が他を圧倒しているということに、納得していただけると思う。
簡単な話、「古い町並」ロケと同等かそれ以上に強いロケを創出できれば、観光戦略は成功する。もちろん、簡単な話ではない。しかし、そうしなければ観光がやせ細っていくことも事実。(以降、次回に続く)