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2009年06月17日

『1Q84』Book3・Book4

村上春樹『1Q84』Book1・Book2を読了。もちろん面白かったし、読み終えるのが惜しいとさえ思った。純愛に感動もした。

でも、なにか消化不良というか、釈然としないというか。

あまりにも未解決部分が多すぎるのだ。様々な伏線が張られているのに、それについてまったく触れられないまま置き去りされてしまったかのような印象がある。

※これから読もうとする人はここから先、ネタばれ注意。

たとえば失踪した編集者の小松や戎野教授はいったいどうなってしまったのか? 「さきがけ」の報復は? 特に二人のボディ・ガードはその後どう動いているのか? その報復に対してタマルはどう防戦するのか? リトル・ピープルの報復は? 新しいレシバァは誰? つばさはほんとうに消えたのか? 老婦人のその後は? アザミって女の子、一度も登場してないよな? 二つの月はそのままなの? 1984年はどうなっている? 結局のところ、リトル・ピープルっていったい何なのよ? 最も気になるのはやはり天吾と青豆だけど、ふかえりとの関係はどうなる?

疑問文の嵐の如き、読後感。はっきり言おう! 絶対に続きがある。

つまり、BOOK1<4月-6月>・BOOK2<7月-9月>に続いて、BOOK3<10月-11月>が発刊されるのだ。きっとそうに違いないし、そうでないと困ってしまう。

そうであるなら発刊は9月だろう。場合によってはBOOK4<12月>ってのがあり得るかも? もしくは『1Q95』とタイトルを改めて再スタートさせるのかも。ならばかつてないほどの大長編が誕生する。

今回の村上作品は従来のものになかったものを感じる。いままでの主人公はなされるがまま、流されるままに身を横たえてきたような生き方だったが今回の登場人物は、そうなってしまいそうな時に自らの意思で状況を変えてしまおうとするポジティブさがある。だからか、なんだかあのうら悲しい読後感に引きずられなかった。なにか吹っ切れた感じがする。

一個人の意思決定と行動が世界存在そのものに善くも悪くも影響を与えるという世界観が示されているともとれる。従来の運命論的な厭世主義からは完全に逸脱している。これは大いなる変化だ。

もうひとつ。父が存在している。ただし、その存在は希薄。他人となって人生からフェードアウトしてしまう父親、殺されても子どもに何の感情も想起させられない父親。共に愛されない父親像だ。それでも従来の作品のように不在ではない。これも大いなる変化だ。

村上作品に、もし愛される父親、尊敬される父親が登場したら、それは最早、村上春樹ではないだろう。なにか別のジャンルの文芸作品となってしまう。

だとすると次回作で戎野・アザミ親子の関係は注目される。崩壊していない親子関係がはじめて描かれるのだろうか? それともやはり問題を抱えているのだろうか? ぼくは後者に賭ける。

一方、母親像。こちらは甘く切ない感情を与えるのだが、愛する者を裏切り離れていく、もしくは愛する者を愛しきれない儚い存在として描かれている。「母は強し」という格言は村上春樹に通用しない。

父親像と母親像の崩壊は、根源的な喪失感と大きく関わっていることは間違いなさそうだ。家庭が崩壊し続ける現代社会にあって同じ問題を抱える人は多いだろう。今から25年前にそれは深刻な社会問題となっていた。村上作品に共感できる人が多いのはそのためだろうか? 

ならば現在はどうなんだろう。中年世代と同じように共感できる若者はどのくらいいるだろう。それとも村上春樹とはいえ、その読者層の中心は70's ・80'sと呼ばれる世代だろうか? 若い世代の反応にちょっと興味が湧く。

村上作品において男女の性愛のみが唯一価値あるものとして描かれている。絆としては不確かでありながらが、その尊さはときに極大にまで美化されている。このあたりが女性層に支持される理由なのだろう。

言ってみれば恋愛偏重主義でもあるのだが、なぜか40半ばのオヤジでも納得してしまう。恋愛偏重主義者は神や仏で救われることはない。唯一愛する異性によって救われるのだ。そしてときにそれは実在するのだ。

言い換えると恋愛偏重主義者は反戦・反カルト的な位置付けとなる。世界の平和と繁栄は恋愛偏重主義者によってもたらされる。

まさにLove & Peace !! 村上春樹ってつまりそういうことなのだ。
  

Posted by たまゆらゆら at 18:46Comments(7)

2009年06月11日

村上春樹……また買ってしまった。

新刊が出るとなぜか必ず買う。そしてすべて完読する。
記憶のかぎりでは高校時代に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』。その後、文庫で『風の歌を聴け』・『1973年のピンボール』・『羊をめぐる冒険』を続けざまに読み、村上ワールドにすっかりはまる。

二十代に『ノルウェイの森』・『ダンス・ダンス・ダンス』、三十代で『ねじまき鳥クロニクル』。

四十代で『海辺のカフカ』・『アフターダーク』。

おお、いま気づいたけど『国境の南、太陽の西』を読んでいない。なぜかはわからんがたぶん見落とし。今度読もう。

短編もだいたい読んでいる(と思う)。「象の消滅」は特にいい。

さて、新刊。
『1Q84』Book1・Book2 新潮社 各1,800円也。

http://mainichi.jp/enta/photo/news/20090610mog00m200008000c.html

すでにミリオンセラーとなって書店では売り切れ。ぼくは出版されることさえ知らずアマゾンで偶然発見して速攻で予約(それでも初版は入手できなかった)。

出版に関してなんの事前情報もない。村上ファンならずとも情報飢餓状態に陥り、本を眼にすれば購入せざるを得ない状況になってしまっていた。なんともうまい販売戦略だけども、やっぱりそれは村上春樹だからこそだろう。

情報過多の時代にあって村上春樹はいまだ伝説の作家。滅多にマスコミに登場しない。かと、思っていると突然イスラエルで反戦演説。その勇気に脱帽。ますます伝説の作家になる。

http://www.youtube.com/watch?v=hDwvO64S9B4&feature=related

なんと本を読み出してからしばらく『IQ84』だと思い込んでいた。「知能指数がテーマ? それもちっと低い」という先入観で読み始めてしまった。『1Q84』は、ジョージ・オーエルのディストピア小説『1984』にオマージュを込めたタイトル。オーエルのビッグ・ブラザーに対してリトル・ピープルが登場している。

現在Book2半ばあたりまで読み進んだ。この2冊で完結なのかどうかよくわからない。

もちろん面白い。舞台は25年前のバブルが兆し始めた頃の日本。肉食系女子のさきがけとも思える青豆(あおまめ、あだ名でなく本姓)の章と小説家を志す数学講師の天吾(こちらは名)の章で語られる。自己の存在が希薄になるような種類のトラウマを抱え込んだ男女のそれぞれの物語が次第に絡んでくる。暗殺あり、過激性描写あり、パラレルワールドありと読者を飽きさせないエンターテイメントがてんこ盛り。しかし、それでもとびっきりの恋愛小説のはず(まだ読み切ってないので)。

レトリックの切れも相変わらず。思わず吹き出すようなのもある。

司法や警察関係者は憤慨するかもしれない。道路公団民営化にもそれとなく賛意を表しているように受け取られる。

カルト教団には断固とした姿勢で対峙している。名称こそ変更してはあるが、輸血を禁じるキリスト系カルトが実在の宗教団体を指していることは誰の目にも明らか。農業・牧畜業を基盤としたコミューンってのも実在している。

これは結構勇気のいることだ。場合によっては狂信者に付け狙われ、命の危険に晒されることだってある。事実、そうして命を失った人も多々いる。

宗教を否定しているわけではないだろうが、心の空虚感を安易に宗教で埋め合わせしようとすることへの警鐘ととらえられる。オウム事件を驚くほど熱心に取材し書き下ろしたノンフィクション『アンダーグラウンド』・『約束された場所で』。ここでたどりついた帰結のようなものが、『1Q84』で昇華されている。

村上春樹を論じる立場にはないが、反戦・反カルトの強いメッセージを感じる。それもそちら側にいってしまいそうな人たちを正気に戻すような作用がある。

つまり村上春樹が読まれるということは、それだけバランスを欠いた人たちがいるということだ。春樹を読んでなんとかこちら側に踏みとどまっていられる人たちが百万人近く、この日本にいる。ロシア・中国・フランスをはじめ世界中で読まれている訳だから、その数は億に迫るだろう。

村上作品が文学と称される理由はまさにそこにある。なにかが心に積もる。青春期から20年以上も読み継いで、なお同様の感動を与えられる作家はほかにいない(川上弘美はちょっといいと思う)。

ワンパターンという批判もあるが、やはり徐々に変容があり進化がある。失われた物の本質が次第に明らかになるような手応えというか、個人を超えたところにその存在を捉えようとする試みというか、これまた評論家でないのでうまく言及できない。村上春樹の評論家って誰が優れているのだろう? ちょっと読んでみようか。

村上春樹は還暦を超えた。あとどれくらい作品を贈ってくれるだろう。その後、世界は正気を保てるだろうか? 世代を継ぐ作家は現れるだろうか?  

Posted by たまゆらゆら at 01:59Comments(0)