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2009年06月25日

強毒性インフルエンザのパンデミックを防げるのか?

日本国内での新型インフルエンザの関連ニュースはあまり聞こえなくなった。日本各地に感染者が確認され、最早感染が確認されていない県が少数派となった。風評被害などを拡大させない配慮もあるだろう。その毒性が季節性とあまり変わりないことから恐怖感もほとんど消失した。ニュースソースとしてつまらなくなったと言うことだろう。
○福島で初の新型インフル感染確認、国内感染者は944人に


一方、南半球では感染が急拡大し、このため6月11日にWHOはフェーズ6を宣言した。
○ 豪の新型インフル感染147人 南半球で高まる拡大懸念
○新型インフル、南米で感染者急増 チリやアルゼンチン
○ 新型インフル、「フェーズ6」引き上げを宣言…WHO
○「パンデミック、あと3年は続く」 WHO進藤医務官

WHOの宣言に対してオーストラリアでは異なる対応を取ろうとしている。「プロテクト」フェーズという独自の対策を行動指針にしている。記事中にもあるようにWHOの対策は強毒性を想定したもので今回の弱毒性タイプにはなじまないと判断した模様。
○オーストラリアは26日(金)までに「プロテクト」フェーズへ移行

国内での関心低下をよそに感染の拡大は続いている。年末には国内でもこの問題が再発してくることは確実だ。冬になり大気が乾燥することで一気に感染者が増えるからだ。オーストラリアの対策効果を充分注視して冬を迎えるべきだろう。

ワクチン開発は着々と進み、冬には間に合うような気がする。
○【韓国ブログ】韓国世界初新型インフルのワクチン開発に成功か
○新型インフルエンザA (H1N1)に対するワクチン

やはりそうなると変異株が気になる。強毒性にでもなればこんな呑気にしてはいられない。毒性はまだ確認されていないが変異は確実に起きているようだ。
○新型インフル、人の体内で急速増殖能力…中国女性から採取
○ 【新型インフル】「変種ウィルス、ブラジルで初めて発見」

今回の新型インフルエンザは予行演習だとして、強毒性インフルエンザが発生したときパンデミックは本当に防げるのだろうか? 答えはノーだ。これは誰の目にも明らかだろう。WHOの宣言通り行動してもパンデミックは抑えられない。国権を発動して人の往来の抑制、それにかかわる物流の制限を行ってはじめて可能となる。しかし、これではパンデミックは防止できるが世界経済へのダメージは計り知れない。つまり現実的な対策とはいえない。

現実的にできることは、学校閉鎖などの従来型の対応と発熱外来を充分設置すること。そしてワクチンをすばやく投入すること。このくらいだろう。

ワクチンに関してはかなり期待の持てるニュースがある。
○ インフル万能ワクチン開発、「新型」予防にも期待 厚労省研究班
○ 新型インフルエンザ ワクチン開発に新発想 北大・梶野准教授ら

万能ワクチンが誕生すればインフルエンザなんか怖くないと高をくくれるが、そこだけに期待することはあまりに危険。多方面からの対策が重要になる。

そもそもインフルエンザは文明病だといえる。その意味では人災であるとさえいえる。なぜならば大流行するA型のインフルエンザに関しては家畜経由の感染症だからだ。もし、トリやブタなどの家畜飼育をやめてしまえばインフルエンザは流行しなくなる。しかし、それでは人類の貴重なタンパク源が失われるので、その選択はありえない。もう少し現実的な対策としては、家畜のトリとブタを接触させないように制限を加えることである。トリからブタ、ブタからヒトが感染ルートとみられるからだ。全世界的に法的な縛りをかければある程度有効かもしれないが、発展途上国の農村でそのような法律が通用するだろうか? またトリからヒトへの直接感染も確認されているので有効性に疑問も残る。
○ トリインフルエンザ

高病原性鳥インフルエンザの自然宿主であるカモなどの水鳥を根絶する作戦もある。インフルエンザウィルスは本来カモに寄生してきたウィルスで、カモにとっては無害。いってみれば健康保菌者の状態で自然界を飛び回っているのである。それがニワトリなどと接触することで毒性を発揮し、遺伝子変異を繰り返して最終的に人間に及ぶのである。よってカモなどの水鳥を根絶することは相当有効な防止対策になる。インフルエンザウィルスの根城を消してしまうということである。

この対策は動物愛護団体などから猛烈な反対を受けることは必至。まずとりえない対策だと思う。それでも人類の生存に関わるような事態にまで発展すればやむを得ないこととなる可能性は残される。

過去に日本住血吸虫病という寄生虫による風土病があった。これは日本住血吸虫が体内に寄生し、最終的には肝硬変などで死に至ることもある重篤な疾病であったが、ミヤイリガイという宿主を駆除することによって完全に根絶することに成功している。
○日本住血吸虫

もっと現実的な対策として、ブタの遺伝子改変ということも行われるべきだろう。ブタは種を超えてウィルスに感染しやすい。人獣共通感染症といって犬や猫、牛、羊などから人間に感染するウィルスは多く存在するが、インフルエンザに関していえば、ブタ経由がほとんど(トリからも確認されてはいるが希である)。インフルエンザの流行にブタが介在するケースがほとんどといえる。

であるなら、遺伝子工学の粋を集めてインフルエンザに感染しにくい遺伝子置き換えブタを作り出せないだろうか? 成功すれば極めて有効な対策となる。ただし、この遺伝子置き換えブタが商業的に流通するか否かは不明。

  

Posted by たまゆらゆら at 00:13Comments(0)新型インフルエンザ

2009年06月17日

『1Q84』Book3・Book4

村上春樹『1Q84』Book1・Book2を読了。もちろん面白かったし、読み終えるのが惜しいとさえ思った。純愛に感動もした。

でも、なにか消化不良というか、釈然としないというか。

あまりにも未解決部分が多すぎるのだ。様々な伏線が張られているのに、それについてまったく触れられないまま置き去りされてしまったかのような印象がある。

※これから読もうとする人はここから先、ネタばれ注意。

たとえば失踪した編集者の小松や戎野教授はいったいどうなってしまったのか? 「さきがけ」の報復は? 特に二人のボディ・ガードはその後どう動いているのか? その報復に対してタマルはどう防戦するのか? リトル・ピープルの報復は? 新しいレシバァは誰? つばさはほんとうに消えたのか? 老婦人のその後は? アザミって女の子、一度も登場してないよな? 二つの月はそのままなの? 1984年はどうなっている? 結局のところ、リトル・ピープルっていったい何なのよ? 最も気になるのはやはり天吾と青豆だけど、ふかえりとの関係はどうなる?

疑問文の嵐の如き、読後感。はっきり言おう! 絶対に続きがある。

つまり、BOOK1<4月-6月>・BOOK2<7月-9月>に続いて、BOOK3<10月-11月>が発刊されるのだ。きっとそうに違いないし、そうでないと困ってしまう。

そうであるなら発刊は9月だろう。場合によってはBOOK4<12月>ってのがあり得るかも? もしくは『1Q95』とタイトルを改めて再スタートさせるのかも。ならばかつてないほどの大長編が誕生する。

今回の村上作品は従来のものになかったものを感じる。いままでの主人公はなされるがまま、流されるままに身を横たえてきたような生き方だったが今回の登場人物は、そうなってしまいそうな時に自らの意思で状況を変えてしまおうとするポジティブさがある。だからか、なんだかあのうら悲しい読後感に引きずられなかった。なにか吹っ切れた感じがする。

一個人の意思決定と行動が世界存在そのものに善くも悪くも影響を与えるという世界観が示されているともとれる。従来の運命論的な厭世主義からは完全に逸脱している。これは大いなる変化だ。

もうひとつ。父が存在している。ただし、その存在は希薄。他人となって人生からフェードアウトしてしまう父親、殺されても子どもに何の感情も想起させられない父親。共に愛されない父親像だ。それでも従来の作品のように不在ではない。これも大いなる変化だ。

村上作品に、もし愛される父親、尊敬される父親が登場したら、それは最早、村上春樹ではないだろう。なにか別のジャンルの文芸作品となってしまう。

だとすると次回作で戎野・アザミ親子の関係は注目される。崩壊していない親子関係がはじめて描かれるのだろうか? それともやはり問題を抱えているのだろうか? ぼくは後者に賭ける。

一方、母親像。こちらは甘く切ない感情を与えるのだが、愛する者を裏切り離れていく、もしくは愛する者を愛しきれない儚い存在として描かれている。「母は強し」という格言は村上春樹に通用しない。

父親像と母親像の崩壊は、根源的な喪失感と大きく関わっていることは間違いなさそうだ。家庭が崩壊し続ける現代社会にあって同じ問題を抱える人は多いだろう。今から25年前にそれは深刻な社会問題となっていた。村上作品に共感できる人が多いのはそのためだろうか? 

ならば現在はどうなんだろう。中年世代と同じように共感できる若者はどのくらいいるだろう。それとも村上春樹とはいえ、その読者層の中心は70's ・80'sと呼ばれる世代だろうか? 若い世代の反応にちょっと興味が湧く。

村上作品において男女の性愛のみが唯一価値あるものとして描かれている。絆としては不確かでありながらが、その尊さはときに極大にまで美化されている。このあたりが女性層に支持される理由なのだろう。

言ってみれば恋愛偏重主義でもあるのだが、なぜか40半ばのオヤジでも納得してしまう。恋愛偏重主義者は神や仏で救われることはない。唯一愛する異性によって救われるのだ。そしてときにそれは実在するのだ。

言い換えると恋愛偏重主義者は反戦・反カルト的な位置付けとなる。世界の平和と繁栄は恋愛偏重主義者によってもたらされる。

まさにLove & Peace !! 村上春樹ってつまりそういうことなのだ。
  

Posted by たまゆらゆら at 18:46Comments(7)

2009年06月11日

村上春樹……また買ってしまった。

新刊が出るとなぜか必ず買う。そしてすべて完読する。
記憶のかぎりでは高校時代に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』。その後、文庫で『風の歌を聴け』・『1973年のピンボール』・『羊をめぐる冒険』を続けざまに読み、村上ワールドにすっかりはまる。

二十代に『ノルウェイの森』・『ダンス・ダンス・ダンス』、三十代で『ねじまき鳥クロニクル』。

四十代で『海辺のカフカ』・『アフターダーク』。

おお、いま気づいたけど『国境の南、太陽の西』を読んでいない。なぜかはわからんがたぶん見落とし。今度読もう。

短編もだいたい読んでいる(と思う)。「象の消滅」は特にいい。

さて、新刊。
『1Q84』Book1・Book2 新潮社 各1,800円也。

http://mainichi.jp/enta/photo/news/20090610mog00m200008000c.html

すでにミリオンセラーとなって書店では売り切れ。ぼくは出版されることさえ知らずアマゾンで偶然発見して速攻で予約(それでも初版は入手できなかった)。

出版に関してなんの事前情報もない。村上ファンならずとも情報飢餓状態に陥り、本を眼にすれば購入せざるを得ない状況になってしまっていた。なんともうまい販売戦略だけども、やっぱりそれは村上春樹だからこそだろう。

情報過多の時代にあって村上春樹はいまだ伝説の作家。滅多にマスコミに登場しない。かと、思っていると突然イスラエルで反戦演説。その勇気に脱帽。ますます伝説の作家になる。

http://www.youtube.com/watch?v=hDwvO64S9B4&feature=related

なんと本を読み出してからしばらく『IQ84』だと思い込んでいた。「知能指数がテーマ? それもちっと低い」という先入観で読み始めてしまった。『1Q84』は、ジョージ・オーエルのディストピア小説『1984』にオマージュを込めたタイトル。オーエルのビッグ・ブラザーに対してリトル・ピープルが登場している。

現在Book2半ばあたりまで読み進んだ。この2冊で完結なのかどうかよくわからない。

もちろん面白い。舞台は25年前のバブルが兆し始めた頃の日本。肉食系女子のさきがけとも思える青豆(あおまめ、あだ名でなく本姓)の章と小説家を志す数学講師の天吾(こちらは名)の章で語られる。自己の存在が希薄になるような種類のトラウマを抱え込んだ男女のそれぞれの物語が次第に絡んでくる。暗殺あり、過激性描写あり、パラレルワールドありと読者を飽きさせないエンターテイメントがてんこ盛り。しかし、それでもとびっきりの恋愛小説のはず(まだ読み切ってないので)。

レトリックの切れも相変わらず。思わず吹き出すようなのもある。

司法や警察関係者は憤慨するかもしれない。道路公団民営化にもそれとなく賛意を表しているように受け取られる。

カルト教団には断固とした姿勢で対峙している。名称こそ変更してはあるが、輸血を禁じるキリスト系カルトが実在の宗教団体を指していることは誰の目にも明らか。農業・牧畜業を基盤としたコミューンってのも実在している。

これは結構勇気のいることだ。場合によっては狂信者に付け狙われ、命の危険に晒されることだってある。事実、そうして命を失った人も多々いる。

宗教を否定しているわけではないだろうが、心の空虚感を安易に宗教で埋め合わせしようとすることへの警鐘ととらえられる。オウム事件を驚くほど熱心に取材し書き下ろしたノンフィクション『アンダーグラウンド』・『約束された場所で』。ここでたどりついた帰結のようなものが、『1Q84』で昇華されている。

村上春樹を論じる立場にはないが、反戦・反カルトの強いメッセージを感じる。それもそちら側にいってしまいそうな人たちを正気に戻すような作用がある。

つまり村上春樹が読まれるということは、それだけバランスを欠いた人たちがいるということだ。春樹を読んでなんとかこちら側に踏みとどまっていられる人たちが百万人近く、この日本にいる。ロシア・中国・フランスをはじめ世界中で読まれている訳だから、その数は億に迫るだろう。

村上作品が文学と称される理由はまさにそこにある。なにかが心に積もる。青春期から20年以上も読み継いで、なお同様の感動を与えられる作家はほかにいない(川上弘美はちょっといいと思う)。

ワンパターンという批判もあるが、やはり徐々に変容があり進化がある。失われた物の本質が次第に明らかになるような手応えというか、個人を超えたところにその存在を捉えようとする試みというか、これまた評論家でないのでうまく言及できない。村上春樹の評論家って誰が優れているのだろう? ちょっと読んでみようか。

村上春樹は還暦を超えた。あとどれくらい作品を贈ってくれるだろう。その後、世界は正気を保てるだろうか? 世代を継ぐ作家は現れるだろうか?  

Posted by たまゆらゆら at 01:59Comments(0)

2009年06月04日

環境左派 vs 環境右派


なんだか寒くないかい? 衣替えの季節なのに我が家にはいまだコタツが居間を占拠している。特に夜は寒い。今晩はそうでもないけど。6月ってこんなんだっけ?

温暖化が足踏みしている?

○消えた太陽黒点、迫る地球寒冷化?
http://netplus.nikkei.co.jp/ssbiz/techno/tec090513.html

すわっ、氷河期に突入か!!
少し前の記事だけど太陽活動は観測史上最低の水準にあるという。地球を二酸化炭素やメタンの毛布にくるんでちょうどいいくらいなのかもしれない。

でも冷静にデータを調べたらやっぱり今年も順調に温暖化まっしぐら。

○岐阜県の気象・地震概況
http://www.tokyo-jma.go.jp/home/gaikyo/632/index.html

2009年は1月から5月まで平均気温は平年を超えている。どうも釈然としないが事実だから仕方ない。

○ 専門家の予測:今年の世界の平均気温は史上トップ5に
http://jp.eastday.com/node2/node3/node11/userobject1ai44917.html

それどころか、世界中で記録更新中。今年はとんでもなく暑いと予想されている。暑いのはいやだな。この体型、すぐにオーバーヒートする仕様だ。ほんとうに動けなくなる。ガリガリ君を日に10本補給せねばなるまい。

片や、氷に閉ざされた世界も御免被る。そうなればビキニもミニスカートも見納めとなる。

全球凍結

いまから6億年前に地球は氷の固まりだったことがあった。大昔の話だ。ここまで冷え込まなかったものの1万年くらい前も氷河期だった。僕らの先祖がシベリアでマンモスを狩り、ベーリング海峡をわたってアメリカ大陸に達したころだ。6億年前も1万年前も大昔に変わりないけど、違いもある。氷河期は周期的に繰り返す。今回の太陽活動がその予兆なのかもしれない。

思うに我々人類は地球環境がどうあればいいと思っているのだろう。
・ 自然環境維持派 なにがなんでも自然環境をそのまま維持する
・ 最適環境改変派 人類の生存に適するように環境を作りかえる。

大まかに分ければこの二つに分類されると思う。環境保護やエコロジーを論ずる方はこのいずれか、あるいはその間のどこかに分類されるはず。予め断っておくが、なにか特定の団体や個人がこのいずれかに分類されるということではない。あらゆる環境保護活動がこの両極の間に存在できるという座標や目安のようなものだ。

いまの地球温暖化問題。温暖化阻止はこの両者の共通の宿願となる。二酸化炭素の排出は人為的であり悪である。こう考えるのは自然環境維持派だ。最適環境改変派は温暖化が進まないレベルまで削減できればよい。両者の主張は微妙にずれる。

自然環境維持派はいってみれば環境過激派で一般にはなじまない。主義主張というより宗教に近い。自然とは人類がなにもいじらないこと、干渉しないことを意味する。「無為自然」が一番。

最適環境改変派は一見まともで穏健にみえるかもしれないが、実はとんでもない計画をしている。

テラフォーミング

火星の環境を壊滅的に破壊して人類の生存を可能としようという計画がある。実現可能かどうかは知らないが、最適環境改変派が必ずしも穏健ということにはならない。

イギリス映画『サンシャイン 2057』

真田広之が船長役で出演している。太陽活動が鈍って地球が寒冷化した近未来、太陽に核爆弾を投下して太陽活動の活発化しようというSF映画だ。まあまあのできだと思ったが、思弁的にしようとしてコケてしまったような中途半端な作りだった。これも最適環境改変派の極端な一例。

自然環境維持派を環境左派、最適環境改変派を環境右派と仮に命名しよう。

近い将来、この右派と左派は必ず対立する。
たとえば砂漠の緑化運動。これは見方を変えれば砂漠の環境破壊ということになる。砂漠に住む固有種を絶滅においやる可能性もある。左派は絶対反対の立場をとる。

地球の寒冷化が進めばどうなるだろう。右派は二酸化炭素排出を歓迎するようになる。毛布を厚くして大気を暖めるべきだと主張する。当然だが左派はこの主張を受け入れない。

メタンハイドレートの採掘の是非は? 北極海の資源争奪は? 耕作地の拡大は? 熱帯林の伐採は? 

もっと身近な例だと、杉の植林は正しい? 割り箸は使うべき? プラスティックは分別すべき? 

答えが簡単そうでほんとうに正しいのか、よく考えるとだんだんわからなく問題も結構多い。

環境保護は科学というより美学で進めるべきだろう。どっちがより美しいかという感性が結論を導く。  

Posted by たまゆらゆら at 00:59Comments(0)環境・エコロジー